この瞬間、自分は無い
刹那刹那のこの瞬間、すなわち「絶対現在」には自分というものがない。
一念起こって初めて自他が分かれる。
一念起こる以前、「純粋経験」において自他は一如であり、こちらもあちらもない。
それそのものだけ、そこに真実がある。
自分の心を「観照する」という。しかし、観照する主体など本来無い。一念が動いてそのように思えるだけである。「自分」は後から現れる観念に過ぎない。上座仏教でも言われる通りだ。
とりわけヴィパッサナーを行う人はここを理解しておく必要がある。
今この瞬間の「ただそれだけ」。
坐や瞑想はそれを究めていく一助だ。
呼吸、マントラ、身体感覚、そうしたものと一如となることで、今のこの瞬間の真実に触れていくのである。
自己の真相はそのようにして明らかとなる。
(富説 九拝)