前回から だいぶ日が経ちましたが
珍駅名と叫んでたのはこの歴史シリーズでは
「駅名トリビア」に名を変えて東日本第3弾![]()
東京の続きと南関東までGO![]()
三河島(みかわしま)駅
JR常磐線
東京都荒川区
常磐線(上野~取手間)では利用客の最も少ない駅。
三河島駅といえば、1962年5月3日に発生した
国鉄戦後五大事故の一つと言われた「三河島事故」。
160名の死者、296名の負傷者を出した
列車脱線・多重衝突事故で、
この事故を契機に、
ATS(自動列車停止装置)が
全国的に整備されるきっかけとなりました。
東京(とうきょう)駅
JR東海道・東北・上越・長野新幹線
JR東海道、中央、総武、山手、京浜東北線
東京メトロ丸ノ内線
東京都千代田区
東京八重洲口の「八重洲」とは、
17世紀の朱印船貿易家
ヤン・ヨーステンの名前から由来。
「耶楊子」→「八代州」→「八重洲」
三鷹(みたか)駅
JR中央線
東京都三鷹市
三鷹~御茶ノ水間は便宜上中央線、総武線と
分けて識別されている事が多いが
正式には中央線の線路別複々線区間で、
総武線は「中央・総武緩行線」であります。
1949年7月15日、車庫から無人の列車が暴走、
車止めを突き破って脱線転覆、
死者6名の三鷹事件が有名。
同時期に起きた松川事件、下山事件と並んで
国鉄三大怪奇事件の一つと言われてます。
郊外のプロ野球の球場は今では普通ですが、
パイオニアは三鷹にありました。
戦後は神宮球場が進駐軍に接収され
プロ野球はほとんど
後楽園球場で開催されていたそうです。
慢性的な球場不足の中、1951年に
プロ野球をスムーズに運営するために
三鷹駅の北側の中島飛行機(SUBARUの前身)
武蔵野製作所跡地に野球場が開設されました。
球場名は「武蔵野グリーンパーク野球場」
この球場の運営会社の役員に武者小路実篤など
当時の錚々たるメンバーが名を連ねていたそうです。
中央線三鷹駅から支線が球場前まで伸び、
武蔵野競技場前駅が設置され、
競技開催日には東京駅から直通電車が出ていたとか。
この球場は5万人の収容の本格野球場でした。
当時国鉄スワローズがホームとしていたかは
定かではありませんが、
後に神宮球場の接収が解除され、
周辺の球場が整備されると、
集客が見込めない郊外へ
フランチャイズ移転のメリットはなく、
実働1年間でわずかな試合を行っただけで
後に解体されたという、ほぼ幻の球場でした。
支線は廃止され一部は緑道に。
球場跡地は現在は団地になっているそうです。
国分寺(こくぶんじ)駅
JR中央線
西武国分寺線、西武多摩湖線
東京都国分寺市
中央線支線の廃線繋がりで言うと
下河原線の話。
1933年に東京競馬場が開場。
翌年営業開始から武蔵野線開通前までは、
下河原線は国分寺駅から北府中駅を経て
今の府中本町駅の南側にあった
東京競馬場前駅までの路線でした。
東京方面からの客は下河原線
立川や川崎方面は南武線府中本町と、
当時は使い分けされていたそうです。
1973年4月1日、武蔵野線開業と同時に廃止。
下河原線ホーム付近は長らく空き地でしたが、
平成になって駅ビルが建ち、
中央線ホームが2面4線に改良。
さらに特快快速の停車駅となり
この駅で快速電車との緩急接続が実現されると
中央線は飛躍的に便利になりました。
安善(あんぜん)駅
JR鶴見線
神奈川県横浜市鶴見区
安田財閥創業者であり、
鶴見線の前身の鶴見臨港鉄道を支援した
安田善次郎にちなんで付けられた駅。
鶴見線は、駅の多くは埋立地にあり
固有の地名が存在しなかったため、
浅野、武蔵白石など
人名などに由来される駅が多いのが有名です。
金沢文庫(かなざわぶんこ)駅
京浜急行電鉄本線
神奈川県横浜市金沢区
金沢文庫(かねさわぶんこ)は
鎌倉時代の武将、北条実時が建てた私設文庫。
歴史的に「かねさわ」とされていますが、
駅名や行政区など「かなざわ」で統一されているため、
現在では「かなざわぶんこ」と呼ばれています。
明治時代には伊藤博文らによって
称名寺に再建されるも、関東大震災で失われ、
1930年に神奈川県立の文化施設として再興されました。
1990年に新館がオープンし、鎌倉時代を中心とした
所蔵品等の展示と研究施設が設置されています。
安針塚(あんじんづか)駅
京浜急行電鉄本線
神奈川県横須賀市
後に、近くの公園にある
ウィリアム・アダムス(三浦案針)の
夫妻墓(安針塚)にちなんで改称された駅。
ウィリアム・アダムスは時の将軍徳川家康の
外交顧問(水先案内人)として活躍した事で
有名ですね。
今回はここまで。
続きがあるかも。
またねっ
