皆様こんにちは、又は今晩は。
平日ですが如何お過ごしでしょうか?
溜めたネタをご笑覧ください。

今から15年以上昔に「食玩(お菓子のオマケの玩具)」や「カプセルトイ(ガチャガチャ)」が大ブレイクしました。動物・マスコット・アニメのキャラにSFメカは勿論、戦車・航空機・艦船に人工衛星etc…と完成品の精巧な玩具いや模型が次々と発表・商品化されました。
その中で「ワールドタンクミュージアム(以下WTM)」等の1/144スケールの装甲戦闘車輛(AFV)が大ヒットし、サイズ的にNゲージ(1/144〜1/160)に近い事から、Nゲージ関連の製品(ストラクチャーや樹木等)の売上にも貢献したと思われます(これを機にNゲージを始めた方もいるかと)。
…あれから15年後、一時程の勢いはありませんが小規模メーカー又は個人がレジン樹脂やピューター合金でキットや塗装済み完成品を出し続け、WTM等で商品化されなかったアイテムを販売しています。
この度比較的メジャーにも関わらず、何故か商品化されなかったアイテムがマイクロギャラリー(アイコム)から二種類製品化されたので、Amazonを通じて調達致しました。
それがこちら。

側面
WW2(第二次世界大戦)から朝鮮戦争にかけてのアメリカ軍の重戦車です。
ドイツ軍の重戦車とは又異なる「ゴツさ」が有ります。

正面
M26重戦車「パーシング」

M26「パーシング」は、第二次世界大戦末期にアメリカ陸軍がドイツ軍重戦車群に対抗すべく開発した重戦車(1946/昭和21年に中戦車に分類変更)です。
1944(昭和19)年11月から1945(昭20)年末までに2000輛が製造されました。
(…と、言うより「劇場版ガルパン」の大学選抜チームの主力戦車、の方がしっくり来ると思います)
後部
同車は少しずつ改良され、エンジン・トランスミッションを変更した車輛はM46「パットン」になりました。

側面
このM26から、M46・M47・M48・M60に至るアメリカ陸軍主力戦車(MBT)の系譜の祖となりました。

M4A3E8(手前)と並べる
第二次大戦のヨーロッパ戦線では、ドイツ本土でティーガー重戦車やパンター中戦車との小規模な戦闘を経験し、太平洋戦線では沖縄戦での降伏式典で並べられただけでした(幾つか造られた試作車の内1輛が硫黄島の戦いに投入された様ですが)。

上から
M26が大規模に投入されたのは朝鮮戦争(1950/昭和25年〜52/昭27年)です。
M4中戦車では北朝鮮軍のT34-85中戦車に対抗出来ない為の措置でした。
火力(90mm砲)と重装甲で北朝鮮軍戦車を圧倒しましたが、北朝鮮戦車部隊の壊滅と歩兵主体の中国義勇軍の南下により戦車同士の戦闘が激減、歩兵の火力支援に任務が変わりました。
しかし、山岳が多い朝鮮半島ではM26は鈍重過ぎ、先のM4の方が重宝がられる様になりました。
停戦後、M26は大部分が解体されて鋼材に生まれ変わりました。
東京タワーについて「戦車が原料の鋼材で出来た」とよく言われますが、その「原料」はM26が大部分を占めているかもしれません。

続いてはこちら。
Sdkfz250装甲兵員輸送車B型(Neu/新車体)
1941(昭和16)年3月から1945(昭20)年までに6628輛製造されたドイツ軍の装甲兵員輸送車です。
このB型車体は2378輛が製造されました。

車長兼機関銃手と操縦手の2名のクルーの他、兵員4名を乗車出来ます。

しかし、兵員輸送車として使うには小型過ぎ、通信指揮車や偵察装甲車・弾薬輸送車等に使われました。

側面
装甲兵員輸送車Sdkfz251の簡易生産型であるD型に似通っています。

Sdkfz250(Neu/新・Alte/旧)
手前がA型(Alte/旧)・奥が先に述べたB型です。
B型車体は生産性を高める為、箱形になっています。A型車体は菱形になっています。

どれも1/144スケールのはずですが、上の方が小さく見えます。


M26の一個小隊
もう1輛要るかなぁ?

…だいたい戦車一個小隊が前進するときはこんなかんじです。正面が前方、2番・3番目が左右、4番目が後方を警戒しながら前進します。

長々と失礼しました、明日から後半戦です。
月並みですが宜しくお願い致します。
では又。
(追記)
朝鮮戦争は1950年6月25日から1953年7月27日でした。1952年と間違えて覚えていました。
訂正致します。