昨年は坂戸城築城500年の年であった。築城についての記述は大変少ないのだが、500年の根拠としたのが、「越後入広瀬編年史 中世編」(滝沢健三郎著)である。

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入広瀬の穴沢地区を拠点に、上田長尾氏の家臣として忠誠を尽くした穴沢氏が所持していた「穴沢文書」によると、長尾房長(上杉景勝公の祖父)が永正の乱(永正7年)後に穴沢源左エ門宛に、築城の人足徴用する指令を出している。そして詳細は金子彦五郎にか命じてあるので打ち合わせをするようにと。これには年号は入っていなかったようだ。また「越後以来穴沢先祖留書」には永正10年に起こった六日市合戦(現南魚沼市六日町)の中に、「坂戸御要害出来して程もなく国中取り合いのことありて静まらず・・・源左エ門一類並びに広瀬の衆召し連れて上田表に馳付坂戸の山に篭城す。明ければ正月16日敵味方一同に山下の六日市(現六日町)にて合戦す」とある。
永正7年下克上(永正の乱)、永正10年篭城、そして永正11年に六日市合戦となる。
となると築城年は永正9年(1512年)となるがどうだろうか。

築城には、石白(湯沢)早川、馬場、條内、並びに広瀬諸郷から人夫が集められ、番匠は信州や関東からも来ていたことが記されている。
関東管領上杉家の直轄領であった越後が長尾為景の下克上により上杉顕定が死に、長尾房長は上田庄を手中にしたが、越後は戦国時代に突入し、山城構営が必要となり、越後各地に山城が作られたようだ。その1つが坂戸城なのであろう。

500年前に書かれた古文書で坂戸城が誰の手でどのように作られたのかが良くわかる。
とてもすごい事だ。

上田長尾氏にどんどん興味が湧いてくるのだ!

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