落ち着かなくて、1度目の洗濯を干したり、マンガを描こうとしてやめたり、粘土であそんで時間を潰した。

夜が好きだから、だんだん頭が冴えてきたよ。


もう少しで出産する妹は、お腹が苦しい頃だろうか。心配すると、また、冷たい目で冷たい声で「あんたには、関係ない。」と言われるから、

連絡はしないでおこう。


歯磨きをしたり。無料マンガを読んだりして、時計をチラチラ見た。

いつも通り、もう寝たっていいのに、


去年の6月26日は、母が生きてたんだよな。


今までは、前の年も、次の年も、その次の年だって、

ただ年を重ねただけで、特別な変化なんてないと言い切ってもいいくらい些細なことしかなかった。

昨日だって、今日だって。


それなのに、子どもが生まれてからは、毎年何かがすごく変わっていくように思う。


ハタチの私は40才の私を想像できないくらい

遠く感じたけど、過ぎれば10年も20年も恐ろしく短い。


この家で過ごす6月26日は、今回が最後で、来年は違う家。

きっとそれが終の住処ってやつかもしれないし、やっぱり、やーめたって、日本じゃないとこに行くかもしれない。


薄暗い部屋の見慣れた天井や、私が生まれる前から存在するサイダーボードを眺めながら、そっかぁって思った。


新しい家では、もうすぐ8才になる長男は、最短あと10年しか過ごさないのかもね。

短い。私にとって10年は、ぼーっとしてたら過ぎてしまうよ。

子どもにとっては長いのかな。しあわせで一生忘れられない子ども時代を過ごして欲しいな。

18才まで親と遊んでくれるはずないから、あと、あと、あと何年なんだろうな。


私のことを好きな人たちから、連絡が届く。

そんな12時過ぎて、すぐ送ってこなくていいのにね、とニヤニヤしながら返信をした。


社会の中心でいる年齢は、とうに過ぎた。

若者に、弱者に、お年寄りに、動物に、

全てに優しく、心に大阪のオバチャンをインストールして、町のお節介おばさんであり続けようと思います。


相変わらず私は、言葉が下手っぴいで、全然まとまらないけど、6月26日の最初に脳の中はこんなだったな、と書き留めておく。


今日私は、また一つ歳を取りました。