多発性骨髄腫を患い 若くして余命4ケ月と言われた姉

母が病床に倒れた時 助けに来てくれなかった姉

他人と思いこんりんざいなにをしてやることも

なにをしてもらう事もないだろうと思っていた姉・・・


しかし 時をこえて姉は兄弟である私に

ドナーという形で負荷をかけてきた・・・


・・・・・・


母が病床に倒れた時 姉に母のめんどうをお願いしたいと

すがる気持ちでたのみこんだ時

ふざけるなと机をぶっ叩き 啖呵きって出ていった義理の兄

そんな義理の兄は 姉が多発性骨髄腫になり

余命4ケ月という事を聞き 

それを苦に毎日あびるよーに酒を飲んでた (ラシイ)


・・・・・・・・

姉と義理の兄の間にはひとりの子供がいる

父親である義理の兄を病院送りにした事もある札付きの悪だ

特に家の中や親戚関係の家に入っては

何度も盗人を繰り返すどーしよーもなく手のつけられないやからだ


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とある雪の多い年の12月

ストレス解消にスノボ初すべりにでもでかけようと思っていた土曜日

一本の電話があった・・・

電話口で父が誰からかの電話により驚愕の声を出していた



それは 姉の病気を苦にあびるほど酒を飲んでいた

義理の兄が 昨晩よれよれになって戻り

そのまま風呂の中で亡くなっていたという報せであった




長い間 他人として存在していた姉家族

かかわるつもりも かかわられるつもりもなかった他人


義理の兄の死をもって

病気の姉や 札付きの悪がおもいっきりかかわってくる

そのめんどうをみるという

負の遺産を残し 義理の兄は責任もとらず

とっとと 逝ってしまった


こんな表現の仕方しかできないほど

私は愚かものではないはずなのだが・・・


中学時代は夕食を食べる毎に長時間の腹痛に悩まされ

勉学に励む世代なのに成績悪化に悩まされた・・・


高校時代はインターハイ4位の陸上部に所属し

気の遠くなる様な毎日をおくっていた・・・


大学の時は 母の病と死という耐え難い心の闇を抱えていた

生活費がたりず ずいぶんバイトにも明け暮れた・・・


社会人になっても夜中の12時過ぎまで奉仕残業し

寝てる時も仕事の夢にうなされる日々もあった・・・


いくつものいばらを ガッツや根性で

泥臭く乗り越えてきた


なにか 心のよりどころがあれば ”人” は乗り越える

力を持っている・・・


しかし この頃の自分にとっては全てが ”敵” で

相談できる まともな人が誰もいなかった

全ての ”負” を

ひとりで抱え込んでいた


耐えられるいばらと耐えられない(前向きになれない)いばら


ちょうどフルマラソンを走ってる時に

足が痛いとか 息があがって苦しいとかは耐えられるが

肝臓の中のグリコーゲンが燃焼されつくし

ガス欠状態をおこした時の

体の内側から 気力も精力も失せていくあの

貧血状態になる時の感覚を知っているだろーか


まさに そんな感覚を覚えていた

電話を受け 父は姉家族の家へかけつけていったが

私は体にふるえが来て

こたつの中にもぐり込み気が狂わないよーに

やみくもにおちつけおちつけと唱えていた


愛する誰かの為にドナーという土俵に立つ事は

すばらしい事であり 望むべきものである・・・


しかし 全ての事を考えていっても

そこに ほんとうに戦うべき土俵があるのだろーか?


答えをみつけられないでいた


このころは 普通の状態の時でも

そんな事を思い起こしては体に震えがはしり


体の内側では腸壁に異常をきたし 

コンコンとUC粘膜が発症する準備を整えていたのだと思う・・・








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