2008年の3月・・・


2月より続く出血はまだまだ続いてた 354354


しかしこれは絶対に"痔"であると言い聞かせていた



今、手にし始めた 幸せを手放したくない


親族の長い闘病生活に巻き込まれた長い闇の淵から這い上がり

やっと、明かりが見えてきたのに・・・


・・・・・・・・・


たよる人や、守るべき人が全くいなかった

相談もできず ただひたすら前を見て精進してきた


母は私が二十歳の頃 3年間の闘病の末亡くなった
母が寝込んだ時 下の世話等介護ができるのは父か姉しかいなかった
元気なうちにと急いで式を挙げ 婚約者と結婚した姉は
その後 母の世話にやって来る事が無かった

ある日、父と私は義理の兄に 姉に母のめんどうをみて欲しいと
すがる様な気持ちで意を決し頼み込んだ
しかし義理の兄は、
"それじぁあなにかあ 嫁に仕事をやめろって言ってるのか"
というと 膳をぶったたき 啖呵切って出ていった

それなりの事情があるにしても
この態度は弱って泣きすがる者にすればあまりにも悲しかった・・・
寝込んでる母や、心に穴が空いてるにも関わらず無心に働き看病する
父を思うと  自分の無力さがあまりにもあまりにも悲しかった

"やさしいものにばかり悲しみはふりかかる
むくわれない事がここには多すぎる"   by ババトシヒデ


日中は親戚がやってきて交替でめんどうはみてくれるものの
夜は仕事から帰って来た父がろくに睡眠もとらず下の世話にあたってた
当時、十代の自分に母の下の世話ができない事がほんとにくやしかった
当時学生で、母の病気も重なり経済的にも苦しかった
経費ばかりかかり収入の無い自分がうらめしかった
父には おまえ学校やめろ と親戚の前で言われた事もあった
親戚に借金してる状態なのでしかたなかった

兄弟にもいろいろあると思う
双子の様に仲のいい兄弟 喧嘩ばかりしてる兄弟
しかし私たちの場合は 他人の様な"姉弟"だった
元々他人の様な姉弟であったが 頭のネジが抜けた様な姉ではあったが
人生において大切なポイントはおさえてくれる人だと信じてた
なぜ 姉はまったくめんどう見にこないのか

この時に気持ちははっきりした
こんりんざい あの姉夫婦に頼る事は一切ない
親族というよりは 怨みの対象であり
だからといって何をするつもりもないし 何をしてやる事もない
あいつらは他人だ・・・
そう 強く心に誓っていた





しかし、その他人が時を経て関わって来る事になる







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