まだ時間があるので一人酒しながらあれこれ考えます。

同級生で
「早く家が欲しいから山菜や薬草を売ったお金もみんな貯金している」 
という人がいました。

山菜や薬草を売ったお金が家を買うお金の役に経つのかと思っていましたが、二十代前半で家を買いましたからね。

有限実行を地でいく人です。

昨夜柔道部の飲み会の帰り
「鞄開いてるよ」
と言われたので
「俺はだらしなく生きて行きたいんだよ」

そこに嘘はありません。

経済欲もなく稼げる人間は
「偉いな」
と思いながら目指すことはありません。

今までもそうやって生きて来ました。

今食品会社の方と
「日本人の健康に影響を与える製品」
を作ろうと会議をしています。

ある意味社会貢献になるのではと乗り乗りで参加しています。
日本人二人に一人が癌になるような国になるなんて可笑しな話しです。
髪の毛一本までも食べ物から出来ていますから食べ物が良くないわけです。

昨日沖縄で採れたゴーヤを今日都内の人が食べることを可笑しいと思わない人が多すぎます。
自分の住んでいるところから遥か遠くで出来たモノを食べるというのはどんな動物もしていません。
野菜も日照時間やあらゆる情報を持つDNAを頼りに成長するわけですから、昨日沖縄で採れたゴーヤは沖縄で暮らす人に最適な食べ物であって東京の人には適さないと考えなければなりませんよね。
 
健康の源は食べ物です。

製品が完成するのが楽しみです。

世界保健機構の健康の定義とは

「精神的にも社会的にも良好な状態である」

とされています。


まさにその通りだと思います。


昔同僚が

「世の中には世間に後ろめたい生き方をしている人もいるだろうが俺は平等に治療をしたいから平等に明るさを提供する太陽に因んで゛太陽堂゛という整骨院をつくる」

と言うのを聞いて

「それじゃあ俺も平等に診療する闊歩堂、誰もが胸を張って生きているという意味を込めてそんな整骨院にする」

と言ったことを思いだしました。


その様に生きて来れたと思っています。