名古屋市図書館は、年末年始の令和7年12月29日(月)~令和8年1月8日(木)まで休館となりますが、その直前に、「尾張電気軌道」の資料探索に行ってきました。11月に行った時に気になった「新修 名古屋市史」の索引ページにて、尾張電気軌道を検索してみますと、出てきました‼‼
▶新修 名古屋市史 第六巻(平成12年刊、名古屋市役所)
■第一章 近代都市名古屋へ
◯(明治)四十五年四月、尾張電気軌道が千草から興正寺まで四・八㌔の間に電車を走らせた。この電鉄会社の前身は愛知馬車鉄道といい、四十年八月に愛知郡千種町字古井から同郡御器所村大字広路字石坂まで三・五㌔の単線馬車鉄道を開通させていた。八事電車と呼ばれ親しまれたこの路線の沿線には行楽地や住宅地が広がっており、市街地中心部と東部郊外を連絡する役割を果たした。
◯ 尾張電気軌道は、四十五年五月には大久手から今池にいたる〇・七㌔を開通させ、さらに大正元年九月には興正寺〜八事間(〇・五㌔)の延長工事も竣工させた。(※注釈/明治45年と大正元年は同じ年です。年途中で改元しています。)
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さらに検索を続けていくと、興味深い記述がありました。
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■第五章 1920年代の経済動向と市民生活の変化
◯ この地では、愛知県立第一中学(現旭丘高校)が明治三年に野球部をつくり、以後、大正六年夏に大朝日新聞社主催の第三回全国中等学校優勝野球大会で全国優勝を果たすなど、「第一期の黄金時代」を築いていた。十三年には大阪毎日新聞社主催の全国選抜中等学校野球大会がはじまるが、その第一回の幕は名古屋の八事球場で切って落とされている。
◯ 大会としては、大正八年に名古屋新聞社主催の東海中等学校野球大会が、続いて同社主催の東海・関西選抜野球大会が開かれ、昭和三年八月には同じく同社主催の全国中等学校名古屋野球大会が鳴海球場で行われるまでになった。
◯ 同社はまた同三年に地元の中等学校選抜野球リーグ戦も主催し、これに負けじと新愛知新聞社主催の選抜中等学校野球大会、名古屋高等商業学校主催の近県中等学校野球選抜大会、中京野球協会主催の東海少年野球大会、名古屋体育協会主催の少年野球リーグ戦や市内高等科野球大会、さらには球場自身が主催する大会などが次々と開かれ、それに学校間の招待試合まで含めると、選手は厳寒から酷暑までどの季節にも休む暇もなかったという。
○ なかでも中学校選抜野球リーグ戦は年頭からはじまり、昭和四年の一月六日の試合について『名古屋新聞』は、グラウンドは完全に凍てついて雪をかきわけ「雪を蹴立ててフリーバッチングするナインたちの雄々しさよ」とたたえている。強豪校も愛知一中から明倫中学(現・明和高校)などの中学全盛時代へ、さらには中京商業学校を中心とする商業校全盛時代へと移っていった。当地の野球の水準はたいへん高いものであった。
◯ この野球熱を支えたのが各地の球場で、大正十一年に中区鉄砲町の山本権十郎が広路町石坂に建設した山本球場、明治四十五年に千早~八事間および今池~大久手間で電車を走らせていた尾張電気軌道株式会社が大正十三年七月に八事に建設した八事球場(※注釈/尾電八事球場のこと)、愛知電気鉄道株式会社が昭和二年一〇月に愛知郡鳴海町に完成させた鳴海球場などが、球児の夢をかきたてた。
◯ この野球の普及は運動競技の振興に大きな役割を果たしていたが、プロ野球がはじまる以前においては野球の中心を学生が占めていた。
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ということで、尾電八事球場の写真が掲載されていないのがとても残念です。
それでは、よいお年をお迎えください。また来年よろしくお願いします。
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