報道って何だ?
かつて、安倍何某が首相の時に、国会で野党から予想外の質問を受け、手に持っていた資料を見せながら、「これに書いてないじゃないですか」と気色ばんだことがあった。 古くから、この国では国会での質疑をはじめ、区議会あたりでも予め質問事項が通知され、それに対して事務局が作った回答を読むのが普通のスタイルになっている。 前述のケースでは、「〇〇について質問」というのは通知されていたが、想定された質問と違っていたため、手元の回答では対応できなかったものだ。 それでも記者会見などでは、事前に予定されている代表質問のほかは、フリーの質問があった。 ところが、どこかの首相の時代になり、記者会見の質問は全社合わせてひとつだけとされた。そのことを質問の冒頭、記者に言われた首相はたちまち笑顔が消えた。 そしてその回答を終えるやいなや、「よし終わった、帰ろ」と小声でつぶやいたのがマイクに拾われた。 もちろん、そのことを取り上げた記事は、現在消されてしまっている。小生ここで取り上げたいのは、「報道って何?」ということだ。 この国では、長く記者クラブなるガラパゴス組織があり、各社足並み揃えたものが流される。安倍何某の暗殺事件の時は、見出しが各社一字一句おなじだったのには驚いた。 海外の人がどうして日本のマスコミは・・・と尋ねた際、記者たちが政治家たちと飲食をともにすることが多いと聞き驚いたという。 曰く、海外では出されたコーヒー一杯手をつけないのが常識で、それは政府批判をすることが出来なくなるからという。 日本の常識を聞き、海外のジャーナリストに、「日本には報道はなく広報だけだ」と言われた由。けだし名言だ。 確かに、この国ではマスコミは「政治的中立性」が求められている。本来は、これ自体異常なことで、政府や与党に批判的なスタンスの主張をしようものなら、たちまち問題にされる。 だが、一方で政府や与党礼賛の記事や、野党に批判的な記事は、問題にされるのを見たことがない。「政治的中立性」をいうなら、これもまた偏ってるはずだ。 本来のマスコミは、右もあれば左もあり、革新もあれば保守もあって、受け取る側の信条に合わせて取捨選択すればよいわけで・・・ そんな中でいえば、国会でいろんなことが決まっていくそのタイミングで、麻薬事件とか、親子の暴力事件、さらには数年前のいじめ殺人事件などをテレビ各社が延々と流す光景に疑念を禁じ得ない小生である。 国会前でも改憲反対デモについても、少なくともどこのテレビ局も取り上げていないし、大手新聞各社もまた・・・ 繰り返し言う。その記事を見てどう評価するのは受け手の側の問題であり、各社横ならびで流さないということには、極めてイヤな空気を感じると言いたいのだ。 こう書くと、「お前は改憲反対の反日か」と言われそうだが、以前も書いたが、「改憲するにせよ、しないにせよ、しっかりした議論が必要だ」というように考える小生にとって、「はじめに改憲ありき」で、それがすべて正しいと言われるとどうなのと思う次第。 報道の自由度は2010年の12位を最高にした後は下がり、直近は62位という。いずれにしろ、マスコミに報道を期待するのは無理なのだろうか・・・