南蔵院の良弁塚
練馬駅からも中村橋からも微妙な距離感のところを、先日自転車で走っていたら、気になる碑が目に留まった。 場所は住宅街の一角で、一軒分くらいの敷地に、何個かの碑が立っている。囲いはあって、中には入れないが、不思議な空間である。 一番大きな碑がこちら・・・史跡・良弁塚とある。えっ・・・良弁といえば・・・東大寺二月堂の良弁杉で名高い、東大寺の初代の別当のあの人か・・・ しかし、よく見ると「南蔵院中興第一世」とある。南蔵院はここからほど近くにある古刹である。 もし、東大寺の・・・だったら南蔵院もとんでもなく古いということになるんだが・・・と思い、調べたところ、こんな記事が見つかった。 南北朝時代というから鎌倉末期、南蔵院を訪ねた僧都良弁が開基とされていて、開基といってもそれ以前から南蔵院はあったわけで、それで中興ということになる由。 つまりこの良弁は南北朝時代に活躍した人物で、二月堂の良弁(ろうべん)とは別人ということになる。なお、南蔵院の良弁は「りょうべん」と読むらしい。 くだんの碑にある「良弁塚」は、南北朝時代の1357年に僧侶の良弁が日本各地の霊場を巡って書き写した法華経を納めるために築いたものだという。 しかし、南蔵院とは離れているが・・・古くはここも南蔵院の境内だったのかも。 ちなみに、建立時に埋められた銅製の経筒は、江戸時代の改修時に取り出され、現在は南蔵院の寺宝として保管されている由。 さらに、塚のそばにある「石幢七面六観音勢至道しるべ」は江戸時代に建立されたものという。こちらは練馬区の有形文化財に指定されている由。 観音菩薩や勢至菩薩が彫られており、台石は道しるべを兼ねているというが、道って? ・・・と思い調べたところ、この地が鎌倉道沿いだったことが判明した。 かつて所沢に勤務していた頃、近くに新田義貞の軍勢が馬を勢揃いさせたという勢揃橋というのがあったが、その鎌倉道とは別ルートで、としま園からこのあたりを通り、鷺ノ宮の方に続いていたという。 えっ、ということは小生無意識のうちに鎌倉道を通っていたというわけね。南蔵院も散歩で行ったことがあり、なかなか歴史もありそうだ。 今は、街中の細い道でしかないし、大通りを横切るだけの道だが、ここが歴史的には重い通りだったという・・・ 純粋に東大寺ゆかりの良弁と思い違いをしたところからスタートしたが、意外に近場を調べるのも面白いかと。