ワクワクが中断されることの意味とそのとらえ方~その2~ | スピリチュアル建築士アセンション・統合への道

この物語は、ある中年男性のチャネリングに挑んだ熱血記録である。スピリチュアル業界においてまったく無名の中年男性が、荒廃の中から健全な精神を培いわずか 数年でチャネリングを成し遂げた(予定)奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を余すところなくブログ化する(予定)ものである。

 

 

さて、前回のワクワクが中断されることの意味とそのとらえ方についてつづきです。悶々と考えました。(←3次元劇場のワナwww)

 

 

前回のハイヤーとの会話では、

 

「この世界では良いことも悪いことも起こるべくして起こる。」

 

「良いこと、悪いことは自分にとっての基準でしかなく、魂の成長にとって必要か否かの基準とは異なる」

 

 

 

という感じでしたね。

 

 

んー、頭がこんがらがりそうですね。。ショボーン

 

 

 

そして最後に私の頭に浮かんだことばは、

 

「身体はレンタカー」

「頭でいくら考えてもダメ、心で感じること」

 

 

 

ということでした。

今回はそれを自分なりに整理してみますね。

 

 

 

〇まず、「わたし」という魂が輪廻転生を繰り返すとすれば、今生の私はこの身体をレンタルしているようなもの

 

 

 

〇それは例えればまさにレンタカーのようなもの。

 

 

 

〇そのレンタカーに搭載されたエンジン(つまり脳みそを使ってものを考えることは思考とする

 

 

 

〇この3次元で一時のレンタルによる脳みそを使って物を考えても、目の前に見える映像(現象)に対しての考えでしかなく、本質ではない

 

〇頭で物を考えることはハート(魂)で感じるということとは違う

 

 

 

頭で考えて良いこと、悪いことも、魂や心のレベルで考えれば必要とされることの基準は違う

 

 

 

3次元劇場に慣れ親しんだ身体では、これを理解するのはなかなか難しい

 

 

という感じでしょうか。。。あせるキラキラ

 

 

 

 

ワクワクが中断されたとき、例えば、楽しみにしていたイベントが中止となり自由な時間ができた。

 

 

これを使って、趣味に使ったり、家族との時間を過ごしたり、好きな人と一緒にいる。

 

そのなかで、

よりワクワクする心のよろこび無償の愛心の底からのやさしさに気づくならば、

 

 

それは頭ではなく心、魂で感じるということになるのかもしれませんし、

 

 

それが起こるべくして起こる体験の過程で気づくべき本質なのかもしれません。目流れ星

 

 

 

魂が輪廻転生を繰り返すならば、

魂は生まれ変わる際には次回に必要な経験というものがあらかじめ決められている、

 

いわばドラマの台本のようなものが存在するのかもしれません。目

 

 

魂のブループリントとでもいうのかしらはてなマークビックリマーク

 

 

でも、

台本通りの人生なんてクソ!!

みたいなものじゃないですか。

 

 

初めから答えが決められていることをすることほど虚しいことはないですよね。

 

 

そんなの虚しすぎる!!

 

 

私は、仮に魂に台本があるとしても、

それを乗り越えるだけの想像力

 

人間にはあると思いますし、

そうでなければこの世界はあまりに空虚すぎます。

 

 

 

そしてそれは、

 

アドリブが十分可能な台本!!

 

であると思います。

 

 

 

我々人間には「自由意志」というものがあって、

 

 

この世界はその意志と想像力によってある程度自由な人生の実現化が可能と思っています。

 

 

というふうに考えもしないとやってられない。笑い泣き

 

 

だからこの3次元劇場で大事なのは、

 

 

起こるべくして起こる魂の経験をきちんと積みつつ

 

今回の3次元での人生での喜(怒哀)楽をしっかりと謳歌し味わうということではないでしょうか。

 

 

 

 

やっぱり、みんな喜び楽しみに満ちたこと好きですもんね。ドキドキラブラブ照れ

 

 

最後までお読みいただきありがとうございますお願い

ではまた。

 

with Love ドキドキ

すべてのみなさまそして自分自身に愛をこめて