ちまりさんからのコメントを読んで、何か心に響くものがありました。
何に響いたのか、考えながら徒然雑草風に書いてみますね。

「心をこめると丁寧さが表れる」そこに「仕事に取組む姿勢が見えてくる」というフレーズなんですけど。

自分のこれまで(病気は関係なく)の仕事振りを振り返ってみて、思うことがたくさんありました。
ただ、言葉にしにくい何とも言えない感情なんですが…。

まず、仕事に「心をこめる」なんてことは考えたこともありませんでした。
とにかく「攻める」ことばかり考えていました。営業であれ経理であれ、それこそ労組であれ。

確かに、一般的なマナーとしてハンコやファックスやメールの文章を丁寧にはしていたけど、じゃあそのファックス一枚を心をこめて送っていたか? と問われれば、「いいや、全然(笑)」ですね。

似て異なるのかな。営業のころいつも心がけていたことは、「俺は糸を売るんじゃない。お客さん(織編物メーカーの開発担当者たち)に満足を売るんだ。」ということ。

全然別の話かな、これは(苦笑)。
お客さんを「攻める」ための”戦略”ですね、これは。
で、「一般的なマナー」ってのは、得意先や取引先に良い印象を持ってもらおうとの”戦術”の域を出ていない。

若い頃は、きっとそれで良かったんだと思う。「攻めて攻めて攻めまくる」という仕事振りでね。
でも、それなりに歳とって来て「人生」を考え始めた今、「仕事」の自分の中における位置付けが変化しつつあるように思います。

「自分の中の位置付け」、というのも上手く自分の気持ちを表現できてないんですが…。

ただ、これまではがむしゃらに「仕事」に取り組んできていたけれど、「仕事」というのは「人生」を構成する一部だ(とはいえ相当大きなウエイトを占めているけれど)と思うようになってきています。

だから今心が揺れています。

「仕事」が、「人生」が成功に終わるか失敗に終わるかの重要なファクターとして存在しているのは確かだけど、一方所詮「人生」の一部分でしかないよ、とも思うわけです。

そんなことをモンモンと(無意識に)考えていたのが最近のびっきぃだったのです。

そこで出会ったのが、ちまりさんの「仕事に心をこめる」という言葉。

何というか今までは、「仕事」に打ち込んだ人生を送るか、「仕事」は適当に他のことに生き甲斐を求めて人生を送るか、というように無意識に二者択一的に考えていたように思います。

そのことに気づかせてくれて、それはマチガイじゃない?って感じさせてくれたのが「仕事に心をこめる」なんです。

がむしゃらに何もかも犠牲にして仕事に打ち込めば、充実した人生を送れるのか?

違うよね。
そもそも「人生」とは何のためにあるのか?
うわぁ、すげぇ哲学的なこと言ってしまったよぉ。

今私が理解している所では、人生は「魂」の修行の場であるということ。
そして、心と体(肉体)はそのための”道具”であるということ。(天風さんの悟りによるけど)

だから「仕事」も、「魂」を鍛えるための”環境”を提供してくれていると。
ん~、そんな風に感じるなあ。

上手く言えないけど、「仕事」は「魂」を鍛えるための”手段”であって、”目的”じゃないよ、という感じでしょうか。。。

その意味で「仕事に心をこめる」という言葉には、「仕事」を「人生(の成功)」に近づけるヒントが有る様に思います。

まとまらないけど、「心をこめた仕事」。いい言葉ですよね。やる気がどんどん沸いて来そうです。


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