また、「小沢昭一」っぽいタイトルだな(笑)。
久しぶりの「独善的時事ネタ」ってことで。
最初にびっきぃの立場を言うておくと、私は君が代も日の丸も好きです。国の象徴として当然大切にしなければならないし、国の象徴としての「君」であることから考えても、平和に悠久に国が続きますように、というあまり他国の国歌に見られない歌詞も好きです。
他国の歌詞の多くは、独立時や革命時の歌がそのまま国歌になっているから、それこそえげつない軍歌のようなものも多いんですよ。
それを、公式なセレモニーの場で掲揚・斉唱することは、生徒達に国旗・国歌に対する尊厳の念を教えることになります。
それは転じて、他国の国旗・国歌も尊重する、という国際的マナーにつながるものだと思います。
で、今回の判決。
一言で言うと、一番大切なことが見落とされている、ということ。
というか、そもそもの訴えが、教師達が都教委の「指導」を「思想・良心の自由」を侵害している、というものですよね。
で、その判決は教師側の勝訴になったと。
この上記2行のまとめ(?)の中で、もっとも大切な単語が出てこなかったのにおきづきでしょうか。
「生徒」です。
今回の判決は、いわば「教師が卒業式その他で起立しなくてもいいよ。」という判決です。肝心の生徒は忘れられている。
まあ、裁判所を責めるわけにはいかんわなあ。
訴状に「生徒」のことは何も書いてなかったんだから。
前にも書いた(と思うけど)教師の役割って何なの?
私は、歴史認識に限らず世の中にはいろんな考え方がある。そのことを生徒に教えるのが「教師の役割」であり、生徒各個人がどう思うかを考えさせることが「教育」だと思っています。
ところが今回の裁判を起こした教師達は、「生徒」のことなど放っておいて、自分達の信念を都教委に認めさせようとしただけですよね。
単純に、こういう人たちが教師でいいの?と思うのであります。
びっきぃの理想とする教師像は、あくまで中立中道。そして生徒に考えさせる。このような人に教師になってもらいたいと思っています。
*****************************************
supported by 自然堂本舗
ゆたかな味覚は、ゆたかな人間の基本です。
久しぶりの「独善的時事ネタ」ってことで。
最初にびっきぃの立場を言うておくと、私は君が代も日の丸も好きです。国の象徴として当然大切にしなければならないし、国の象徴としての「君」であることから考えても、平和に悠久に国が続きますように、というあまり他国の国歌に見られない歌詞も好きです。
他国の歌詞の多くは、独立時や革命時の歌がそのまま国歌になっているから、それこそえげつない軍歌のようなものも多いんですよ。
それを、公式なセレモニーの場で掲揚・斉唱することは、生徒達に国旗・国歌に対する尊厳の念を教えることになります。
それは転じて、他国の国旗・国歌も尊重する、という国際的マナーにつながるものだと思います。
で、今回の判決。
一言で言うと、一番大切なことが見落とされている、ということ。
というか、そもそもの訴えが、教師達が都教委の「指導」を「思想・良心の自由」を侵害している、というものですよね。
で、その判決は教師側の勝訴になったと。
この上記2行のまとめ(?)の中で、もっとも大切な単語が出てこなかったのにおきづきでしょうか。
「生徒」です。
今回の判決は、いわば「教師が卒業式その他で起立しなくてもいいよ。」という判決です。肝心の生徒は忘れられている。
まあ、裁判所を責めるわけにはいかんわなあ。
訴状に「生徒」のことは何も書いてなかったんだから。
前にも書いた(と思うけど)教師の役割って何なの?
私は、歴史認識に限らず世の中にはいろんな考え方がある。そのことを生徒に教えるのが「教師の役割」であり、生徒各個人がどう思うかを考えさせることが「教育」だと思っています。
ところが今回の裁判を起こした教師達は、「生徒」のことなど放っておいて、自分達の信念を都教委に認めさせようとしただけですよね。
単純に、こういう人たちが教師でいいの?と思うのであります。
びっきぃの理想とする教師像は、あくまで中立中道。そして生徒に考えさせる。このような人に教師になってもらいたいと思っています。
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