皆さんこんにちは!!
宮城県在住ポテンシャルコーディネーター、空手フィットネス講師のフーミンです。
自分で自分の限界を決めて生きてませんか?
もしかしたら、過去を思い出して「あの時もっとこんな風に生きてみれば良かった!」と思う事はないでしょうか?
私は前回書いたように、私の幼少期は家族から自信を持つチャンスを与えられる事なく育ちました。
しかし、そんな私に転機が訪れたのです!!
私が最初に変わったのは、小学5.6年生の頃の担任の先生のお陰だと思います。
担任の岩佐先生は、生徒にとても恐れられた怖い女の先生でした。
岩佐先生はとても厳しかったのです。
今だったら、問題にされてしまうかも知れないですが、忘れ物をしたらゲンコツは当たり前でした。
厳しい言葉の叱責も多々あり、男の子も何人も泣いてました。
授業1時間まるまる説教なんて事はザラでした。
私も怖かったですし、泣いた事が何度かありました。
しかし、私や他の生徒達の人生を変えてくれた存在と言えると思います。
私は先生から「あなたらしい自分に自信を持ちなさい」と書かれた事があります。
初めて自分が自分のままでも良いと言われたのです。
色々思い出したので、先生とのいくつかのエピソードをあげます。
小学5年生の頃の私は、人前で笑う事をしなかったので私はいつも物憂げな陰気な子供でした。
普段大人しく笑わずにいる私が、のびのびと活発に運動してる姿を見た時に岩佐先生は驚いてたのです。
先生は私が校庭で伸び伸びと元気良く走り回って笑っている姿を見逃さなかったのです。
「ふーちゃんは本当は活発なんだね」と言って笑ったのを見て、私はなんだか本当の私を見つけて貰えた気がして恥ずかしくなりつつも、嬉しかったのです。
また、歌のテストの時、私がソプラノが出せるのを知って以来、私にソプラノを担当させるようにしてくれました。
その時も「あら!あなた良い声出せるのね⁉️」と驚いてました。
普段低い声なので、意外だったようです。
私は男の子の声によく間違えられてましたので声もかなりコンプレックスでした。
私は歌うことが好きだったのですが、それまでソプラノを担当させて貰えなかったので、ソプラノへ行きたかったので嬉しかったのです。
また、岩佐先生は国語を好きにさせてくれました。
先生は国語を得意とする先生で、私や他の生徒への導き方がとても上手でした。
また、どうしてこう感じたのか?と、作者の読み取りの方法を丁寧に教えて下さったのです。
とても優秀な先生だったと今はわかります。
そのお陰で私はいつの間にか創作物語で佳作入選していたのです。
何も知らされておらず…
先生に呼ばれ、ひたすら原稿用紙に書かされたのを覚えてます。
全校生徒の前で、ある日突然表彰されました。
皆は前もって知らされてると言うのに、先生は私にサプライズを与えてくれました。
「良かったでしょ?」と言って緊張してる私を見て笑ってました。
他の子達と違って、前もって知ってたら私がとてつもなく緊張すると思った先生は、あえて私に隠してたのだろうと思います。
また、6年生の最後の学芸会では「その他大勢でばかりの物を選ばず、今までにやった事ないものに挑戦しなさい」と言ったのです。
私は素直に頑張ってみようと勇気を出しました。
とても不安で怖かったのですが、劇への参加に初めて勇気を出してチャレンジしたのです。
劇は必ずセリフが与えられるし、いつも目立つ活発な子達が劇に参加するので、私はどう考えてもその子達と肩を並べられるような子供では無かったのです。
しかし、たった一言のセリフを与えられた私を待っていたのは先生達からの称賛でした。
たった一言だけの台詞なのに、先生達は皆の前で私だけを褒めたのです。
一緒にやってる生徒達も体育座りで呆然としてる私を一斉に見て笑顔で拍手をくれたのです。
「今日この舞台で一番輝いてました」と言われたのです。
ただの名前もない役柄でしたが、そんな事が起きるのかとびっくりで信じられませんでした。
また、同級生達が私を皆笑顔で拍手してくれたのです。
そんな経験は初めてでした。
岩佐先生のお陰で、私はチャレンジする度に少なからず親が思い込んでいる人間では無かったと証明する機会が増えたのです。
岩佐先生との小学生時代が、私が自信が無く生きてた子供時代を救って下さいました。
私が皆の前で自分を出さないようにモジモジして生きてると気がついてくれたのです。
とても怖い先生でしたが、先生が「自分らしいそのままの自分で良いんだよ」との言葉が、「私が私のままでいる事を許してくれる人なんだ…」とパァッと目の前を明るくしてくれた事を忘れません。
親も学校で評価された事で、私を少しずつ認め始めました。
演劇と小説の才能は母が認めてくれて、私の小説を読んで評価してくれるようになりました。
また、それがきっかけで中学時代は演劇部へと進みました。
一年生でメインの主役を貰って、またまた学校の先生達から驚かれるという事になりました。
三年間私が当たり前に主役をやると言う構図が出来上がってました。
二年の時は他の人が主役をやりたがってたのもあり、皆に私が主役をやるように言われましたが、脇役に徹しました。
すると、また演劇の顧問を始め、沢山の先生からも褒められて、クラスメイトから役名で呼ばれたり、知らない先輩達からも声をかけられるようになりました。
三年の時もまた主役をやる事になりました。
卒業する時、私の事をとても評価して下さってた先生から何度も「お前は女優になれ!」と言われました。
私は映画がとても好きで、密かに演じることを続けたいと思ってました。
しかし、どうしても「女優🟰美人」でなければいけないような気がして、私には勇気がなかったのです。
父に「お前は普通だから無理だ」と言われました。
一度も私の演劇を観たこともないのに、父は私を全否定しました。
私は主役になりたくて役者をやりたかった訳ではないのです。
私はいつも映画の脇役が好きでしたから、「個性ある脇役になれたら良いなぁ」と思ってました。
今思えば美人じゃなければ無理などと思う必要もなかったのです。
容姿に対するコンプレックスもあったので、人前に出る事が嫌でした。
私の演劇を褒めて下さった先生がビデオ撮影をして下さったものを皆で観る時、とても自分を見るのが恥ずかしくて嫌で嫌で仕方なかったのです。
自分を見るのがとにかく怖かったのです。
自分に戻ると、私はどうしても自信が無くなってしまうのです。
舞台ではいつも本番になると一切緊張などせずに、演じ切れるのに…
しかし、その経験のお陰で私は自分が思っても見ない時に自分の力を発揮できる事に気がつきました。
体育祭でも、何も運動して無い私がハードル走で二位になって表彰されたり…
いつもダメだろうと思って挑戦した事は、それなりの評価を貰えました。
家族は「お前には出来ない、無理だ!」言ってチャレンジをさせて貰えませんでした。
しかし、岩佐先生から出来ないと思っている事にチャレンジさせられた経験から、私はどんどん自分の想像を超える経験をしました。
私は親が思っているようなダメ人間では無いのでは?
次第に親が言うほど私がダメでは無いのかもと思えるようになり、私はみるみる元気になって行きました。
家族は何もかも否定してたけど、私は外でチャレンジさせてくれる先生達に恵まれたお陰で、少しずつ勇気が出せるようになったのです。
悪い思い込みは人の成長を妨げます。
もっと最初からチャレンジをさせて貰えてたら、もっと早く自信を持つ事が出来たのにと思うのです。
子供時代は育った環境からの影響は大きいです。
自信を持つことは大事ですが、自信満々である必要は無いと思います。
自信が付くまで頑張る伸び代がたくさんあるからです。
自分に限界をつけて諦めるのも、自信を持ち過ぎてしまうのも、努力をする事を怠ってしまい、必ずどちらも成長を妨げます。
本当に成長し続けるのには、いかなる時も「自分へ不足を感じ続ける事」だと思うのです。
どんな人間も完璧では無いのです。
完璧になったら成長は終わります。
私達は常に前を向き、挑戦し続ける事で成長するんです。
その中に失敗なんかないのです。
私は何でもやりたかったら挑戦して、失敗してもまた挑戦すると言う経験をとにかく沢山するべきだと思います。
自分の可能性を信じて新しい自分を発見する。
人生は冒険の旅です。
経験値を上げるために戦った分だけ、沢山の成長という価値を得られるのです。
どんな人間にもたくさんの可能性が眠ってます。
どうせなら良い思い込みで成長しましょう‼️
Have a nice day!