<聖書からのメッセージ >
「命に至る門は狭い」 by エレミヤ
マタイ 7:13 狭い門からはいりなさい。滅び に至る門は大きく、その道は広いからです。 そして、そこからはいって行く者が多いので す。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭 く、それを見いだす者はまれです。
7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼 らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪 欲な狼です。
本日は「命に至る門は狭い」という題でメッ セージしたいと思います。上記テキストに沿 って見ていきましょう。
”狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は 大きく、その道は広いからです。そして、そ こからはいって行く者が多いのです。”
ここでは、狭い門すなわち、命に至る門か ら入ることが奨励されています。そして、滅 びに至る門は大きいこと、その道も広いこと、 そしてそこから入って行くものが多いことが 語られています。これはどういう意味合いな のでしょうか?考えてみましょう。ここで書 かれている命とか滅びとかいうことばについ て考えてみましょう。聖書は人の死後の世界 に関して、人は死んだら無になるとか、千の 風になるとか、星になる、などとは語りませ ん。逆に以下の様に人は死後誰でも必ず裁き の座、裁判の座に着くことが語られています。
ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬこと と死後にさばきを受けることが定まっている
ここでは、どんな人にも定まった2つのこ とがあることが書かれています。その一つは どんな人でも必ず死を経験することです。こ れは、誰でも知っています。もう一つあまり 知られていないことがあり、それは死後誰で も彼でも必ず、その自分の人生で行なったあ らゆる行いに関して裁き,すなわち、裁判を 受けるということです。
その裁判の結果、ある人は無罪放免となり何 の罰もおとがめも受けません。そして神によ り、永遠の命を受けるようになります。また ある人々は自分の犯した全ての罪への罰とし て、滅びやら地獄の罰を受けるようになりま す。このように人の死後は命か、滅びか2者択 一のように、明確な区分がおきます。これら の事実をベースにして上記聖句には、命や滅 びについて書かれているのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、 それを見いだす者はまれです。
ですから、ここで書かれているいのちに至 る門とは、私たちが死後永遠の命に入るため の門、命に入るための門について書かれてい るのです。そしてその門は小さく、その道は 狭く、その結果それを見いだす者はまれで、 あることが語られています。
<にせ預言者は滅びの門を語る>
7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼ら は羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲 な狼です。
さて、この滅びの広い門に関係するかのよ うにここでは、にせ預言者たちについて 語られています。彼らは羊のなりをしている が、そのうちは貪欲な狼であることが 語られています。羊は無害ですが、狼は羊を 襲って命を奪います。ですから、このにせ預 言者やにせ教師の偽りのことばを信じる人々 は滅びにいたり、命を失うようになることが わかります。
具体的に、にせ預言者のことばとは何でしょ う?たとえば進化論のことばでしょうか。 進化論は人は物質に過ぎず、また、人間がで きたのも、単なる偶然に過ぎない、と 語ります。神など存在しないと語るのです。
しかし、果たして人間の様な複雑な生物が偶 然にできるでしょうか?人間の体は60兆も の細胞からできています。そしてそのそれぞれの細胞に含まれるDNAには60億ビットもの 情報が含まれているとのことです。このよう な複雑な人間の体が偶然にできた、と主張す ることは、不自然で愚かな話です。そして神 や聖書を否定する滅びの門です。このような にせ預言者のことばを真に受け、神を拒否す る歩みをするなら、私たちは、死後のさばき の時には神から咎めや罰を宣告されるように なるでしょう。まさに、「滅びに至る門は大 きく、その道は広い」のです。
<命に至る狭い門はどれか>
それではこの件、人はどのようにして存在 するようになったのか、という件に関して、 命に至る狭い門は何でしょうか?人や動物の 創造に関して聖書はこう語ります。
ロマ1:18 というのは、不義をもって真理をは ばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対 して、神の怒りが天から啓示されているから です。
1:19 なぜなら、神について知りうることは、 彼らに明らかであるからです。それは神が明 らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神 の永遠の力と神性は、世界の創造された時か らこのかた、被造物によって知られ、はっき りと認められるのであって、彼らに弁解の余 地はないのです。
1:21 というのは、彼らは、神を知っていな がら、その神を神としてあがめず、感謝もせ ず、かえってその思いはむなしくなり、その 無知な心は暗くなったからです。
ここには、神は確かに目に見えない存在なの ですが、しかし、そうだからといって、神を認 めない、その存在を受け入れない、という人に は弁解の余地がなく、神の裁きの座で彼はさば きを免れることができないことが語られていま す。
神は確かに見えない方ですが、しかし、聖 書は、「神の、目に見えない本性、すなわち 神の永遠の力と神性は、世界の創造された時 からこのかた、被造物によって知られ、はっ きりと認められる」ことを語ります。
どういう意味合いでしょうか?私にはこう 理解できます。たとえば、東大寺の様な大き な建物が存在しているという事実はこの建物 を建築した人が存在したことを「証明」しま す。もちろん、東大寺は古い建物なのでそれ を建築した人は今はいないのですが、しかし、 建物が存在していること自体が、その建築し た人が「存在」したことを証明するのです。
また、同じくモナリザの様な絵が存在する ことは、その絵を描いた画家が「存在」した ことを証明します。モナリザを描いた画家は もうこの世に存在しませんが、このような優 れた絵は偶然にできることはないのです。
同じく人間に関しても、その存在自体が、 人間をデザインし、実際に創造した神という 方の「存在」を証明しているのです。また、 モナリザは優れた絵ですがしかし、しょせん 絵に過ぎないという言い方もできます。どれ だけ優れた絵でも絵の女性が歩き出すわけで も、話しだすわけでもないのです。しかし、 実際に神が創造した女性は歩きもするし、話 もします。このような人間、女性が偶然にで きた、ということはありえないのです。確か に被造物、神の作品である人間の存在は、そ の創造者である神の存在を証明しています。
そして、これが、上記聖書のことば、「神 の…神の永遠の力と神性は、..被造物によっ て知られ、はっきりと認められる」というこ とばの意味合いです。
そして、このような真理こそが私たちが命 に至るための狭い門、狭い道なのです。進化 論などの広い道を通るならその先に待ってい るのは神の怒りをかう道であり、裁きの座で 永遠の刑罰の宣告、滅びの宣告を受ける道なのです。このことを知りましょう。
<私たちが有罪とならないには>
先ほど書きましたように、聖書によれば、 死後の裁きの座では私たちがその人生で犯し た全ての罪に関して尋問があり、申し開きを するようになります。また、罪の弁済として、 私たちは実刑を受け、死後、罰として火の池 に投げ込まれるようになります。
しかし、神はそのような実刑を受けざるを 得ない私たちを哀れんでくださり、そのため 救いの道を用意してくださったことを聖書は 語ります。以下の様に書かれています。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与 えになったほどに、世を愛された。それは御 子を信じる者が、ひとりとして滅びることな く、永遠のいのちを持つためである。
ここに書いてあることばの意味合いは、神 は我々が自分の犯した罪の罰を受けないため に救済処置を備えてくださったということで す。具体的には神のそのひとり子であるイエ スキリストを世に与え、十字架でその命を犠 牲にしたことです。その死は我々の罪をにな う死であり、身代わりであることも書かれて います。そしてその身代わりの死により、私 たちが当然払うべき罪、罰、地獄の罰から 我々は免れるということです。これこそ、命 に至る狭い門、狭い道なのです。このことを 真実とし、キリストに頼るものは命を得ます。 このことを知りましょう。