聖書と日本語「狭き門」 月刊バイブル29号より | みんなしあわせになりたいんだよ

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聖書と日本語「狭き門」

 

聖書はあまり日本人には馴染みがないものかもしれませんが、実はそうでもないのです。 「狭き門」という言葉があります。入試や就職活動の季節になると、よく聞かれる言葉 です。この言葉は、競争が激しく合格するの が難しい、という意味として用いられていま す。この言葉と聖書と何のかかわりがあるか と思われるかもしれません。これは聖書新約 聖書マタイ7章の言葉から来ています。
 
マタイ7章13節~14節 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大 きく、その道は広いからです。そして、そこ から入って行く者が大いのです。いのちに至 る門は小さく、その道は狭く、それを見出す ものはまれです。
 
実はこの「狭い門」というのは、天の御国 に入る門のことを指しているのです。 そして天の御国に入ることがまさに「狭い 門」であり、とても難しいこと、難関である というのです。主イエスは天国への門は小さ く、道は狭く、それを見つけ出す人は稀であ るといわれています。 そしてイエスは「狭い門」と「広い門」の 2つの門があり、それは「いのちに至る門」 と「滅びに至る門」であると語られています。 「狭い門」は、天国に入れる、永遠のいのち に至る門であり、「広い門」は、天国には入 れず、滅びに至る門であると書かれています。 そして「広い門」をくぐる人が多いのです。 とあります。 この門というのは私たちの歩む道のこと、 人生のことです。
 
人生には2種類の道があります。人は最後 にそのどちらかの門をくぐります。 広い道である、この世の常識的な考えでは、 自分の力で懸命に努力することが大切だと考 えます。そして成功や自分の願いがかなうこ とを求め、それを得るために懸命に進んでいきます。

 

もう一つの道は、自分の力で進むのではな く、神の御子イエスを救い主として頼る人 生。唯一の造り主である父なる神様に従う生き方です。目に見えない神様の力を信じて、 自分の力に頼らずイエスにより頼む人生が 「狭い門」です。多くの人は、目に見えない 神様より、実際に目にみえるもの、自分の能 力で人生を進めていく方が確実なように感じ るのではないでしょうか。

 

しかし主イエスは、「狭い門」から入りな さい。と言われています。イエスは私たちの 常識、世の常識とは全く反対のことを語られ ているのです。イエスを信じる「いのちに至 る門」は狭く小さく、見出すのは稀といわれ ます。自分の力で、この世の成功や自分の望 みをかなえる道の方が神に従うより自由で良 く思えるのです。しかし広い道は「滅びに至る門」だといわれています。私たちの常識で は、良さそうに思える道が実は滅びに直結し ているのです。この世の価値観ではなく、イ エスに頼り生きていくことは、非常識で心細 げな狭い道に見えるかもしれません。でもこ れが永遠のいのちにつながる道なのです。

 

マタイ16:26では「人はたとえ全世界を 手に入れてもまことのいのちを損じたら、何 の得がありましょう。」 とあります。永遠のいのちを得ることはな により、大切なことです。「狭い門」という 言葉にはこのような神さまからのメッセージ があるのです。