キリストは復活した by エレミヤ
〔聖書箇所〕Ⅰコリント人への手紙15:3,4
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えた のは、私も受けたことであって、次のことです。キリス トは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死 なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目 によみがえられたこと、 今回は「キリストは復活した」として、この ことを見ていきましょう。イエス・キリストは 聖書の中心的な人物です。キリストの生涯において、他の人とは異なる多くの大事なことがあ りますが、その特筆すべきこと、もしかすると 最も大事なことは、キリストが復活した、とい う事柄です。復活とはどういうことか?と言う と、ことばの意味合いとしては誰でも知っているとは思うのですが、要するに死人が生き返る、 一度死んでしまった人が再度蘇る、ということ です。
キリストは一度死んだけれど、もう一度生き 返った素晴らしい人だ、と私たちが語ったとし て、ああそうですか、素晴らしい人ですね、と 皆が同意するとは、さすがに私たちも思っては いません。むしろ、そんなわけはないだろ、いくらキリスト教徒だって、そんなこと本当は信 じていないだろう、多分ことばのあやや、物語 として書かれているのだろう、と思うかもしれ ません。でも、一応私たちのスタンスや立場を はっきりさせなければならないと思いますので、 申し上げます。私たちは、(少なくとも私たち の教会では)このこと、キリストが一度死んだ けれど、もう一度蘇ったということを掛け値な しに本当だ、と信じています。
私たちにとって、キリストが死んだけれど、 しかし蘇ったということは、歴史的な事実であ り、たとえて言うなら、江戸幕府を開いたのが 徳川家康だったというくらい明確な事実であり、 疑いようのないことだと思っています。それは、 お前が狂信的であり、科学的なことに無知だか らなのではないか、人間に限らず、生物は一度 死んだら生き返らない、ということが科学的な 常識であることを知らないのか、という風に言 われてしまうのかもしれません。ですが、一応 簡単に少しだけ反論させてください。
<キリストの復活を多くの科学者が信じている>
私が無知であり、科学的な知識が無い、とい うことは、もしかするとそうかも知れませんので、特に反論はしません。ただ、少し申し上げ るなら、このようなこと、すなわちキリストの 復活も含めて、聖書のことばや、そこに書かれた奇跡を信じる人々とは、単なる無知な人々と は限らず、世界の偉人や有名な科学者と呼ばれ る人々の中にもおられることは覚えておいてく ださい。
たとえば、アンブローズ・フレミング(電気 に関する「右手の法則」「左手の法則」で有名 な英国の物理学者)は、こう述べています。
「四つの福音書にあるこれらの出来事(復活とその他の奇跡)の記録を研究してみなさい。そうすれば、 あなたは確証済みの科学的事実や科学の原理の中 には、何一つ奇跡を信じることを妨げるものはない、 ということが分かるであろう。」と。
彼は有名な物理学者でしたが、それと共に聖 書を書かれた神を認め、また、キリストの復活 の事実を認めていたのです。無知な人や狂信的 な人だけがキリストの復活を信じているわけで はないことが分かるでしょうか。
<三代に渡る東大の総長もキリストの復活を信じるクリスチャンだった>
さらに、と付け加えると嫌味のようで恐縮なのですが、日本に目を向けるなら、東京大学の 総長は三代に渡って、聖書のことばを文字通り
に信じるクリスチャンでした。前号でお知らせ しました矢内原忠雄は、その一人です。東大は 日本で一番難しい大学ですし、そのトップであ る総長ともなれば、もっと無知な人ではないでしょう。というより、彼らは日本のトップクラ スの知性です。しかし、彼らはキリストの復活 を始め、聖書のことばを文字通りに信じていま した。ですので、死人の蘇り、と聞いて、そん なことあるはずはない、と思うのは自然の反応 だとは思います。しかしこのことは、無知な人 だけが信じる、という事柄ではなく、この国のトップの知性にあたる人々さえ、信じている事柄なのです。彼らは聖書のことばを熟慮して、 そして信じるに値する事柄であると結論付けたのです。ですので、キリストの復活という多く の日本人が一笑に付す事柄は、じつは単なるおとぎ話というより、真面目に考慮するに値する 事柄なのである、ということは知ってください。
<キリストの復活は旧約聖書の中で預言されてい た出来事>
冒頭のテキストには、「また、葬られたこと、また、 聖書に従って三日目によみがえられたこと」と書か れています。「聖書に従って~よみがえられた」と は、どういうことか?と言うと、イエス・キリ ストが死から蘇るということは、聖書に前もって預言されていた出来事である、ということで す。死人の蘇りはたしかに驚くべきことで、普 通にはあり得ないことなのですが、しかしその ことは、キリスト誕生以前に書かれた聖書の中 で前もって預言されており、ある意味神の想定 内の出来事だったのです。事実、キリスト誕生 の1000年も前に書かれた詩篇の中で、ダビ デは以下のように語り、預言しています。
〔聖書箇所〕詩篇16:10
16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨 ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。”
「よみ」とは、死者が行くところです。キリスト は十字架で肉体の死を迎えたあと、その魂は、 死後の世界である「よみ」に行かれたのです。しか し、その「よみ」に長い間とどまったり、捨て置か れたわけでなく、死後3日目に蘇られました。
まさにこのことば、「あなたは、私のたましいを よみに捨ておかず」とは、キリストの生涯に成就 しているのです。
<復活の意味合い>
ところでと言いますか、なぜイエス・キリス トは復活したのでしょうか?このことにどうい う意味合いがあるのでしょうか?そのことも考 えてみましょう。一つは、復活はイエス・キリストという人の特殊性を表すものです。聖書は イエス・キリストこそ聖書の中心人物であり、 この方による以外救いはないことを語っていま す。そして、このキリストは多くの奇跡を行っ ています。いわく、らい病の癒し、耳の聞こえない人の癒し、目の見えない人の癒し、食物を増やす奇跡などなどです。しかし、それらのど の奇跡にもまさってイエス・キリストの復活は この方の特殊性を示します。なぜなら、死人か ら蘇った人など歴史上、まずいないからです。
それに引き換え、と引き合いに出しては恐縮 ですが、仏教ではその創始者である釈迦の骨が 尊重されます。仏舎利と呼ばれているようです。 たしかに釈迦の骨は尊いのでしょうが、しかし 骨が残っているということは、彼が我々と同じように、死んで葬られた普通の人間であること を示すものなのです。彼が死に勝ったことを示 すのではないのです。それに反して言うと、恐 縮な言い方なのですが、キリストの骨は残って いません。キリストが死に勝ち、蘇られたからなのです。神がたった一人の救い主を送られたとき、このキリストこそ神の遣わした方である、 とのいわば間違えようのない目印として、復活 をキリストに行ったのです。ですので、今まで 歴史上復活した人などいないからキリストの復 活などあり得ない、という論理ではなく、歴史 上かつて無かった復活をキリストが行ったから こそ、このキリストが、神が送られた唯一の救 い主である、と理解できる、との論理が正しい のです。
<キリストの復活は我々が持つ永遠の命へ の希望>
キリストが復活したことのもう一つの意味合いは、それはキリストが我々に先立って、もし くは我々のように神を信じる者の代表、トップ ランナーのように復活し、死に対して勝利を得 たので、キリストを信じる我々も同じ復活の希 望を持つことが出来る、ということです。
聖書は以下のようにキリストを信じる者は、 永遠の命を持ち、神の怒りの裁きに会わないこ とを語ります。
〔聖書箇所〕ヨハネの福音書3:36
3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御 子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神 の怒りがその上にとどまる。
このように聖書は、キリストを信じる者が永 遠の命を得ることを語りますが、しかし問題は、 我々はどのようにして、このことばが真実であ る、と知ることができるのかということです。 悪い言い方をするなら、こうも言えるかもしれ ません。すばらしい約束や希望のことばは誰でも語ることはできるが、しかし問題はそれが実 現するかどうかである、と言えるのです。
このキリストの約束、我々が永遠の命を持つ との約束が事実であり、真実であり、単なる口 約束ではないことをどのようにして知ることができるのでしょうか?このような疑問に対して強力な答え、確認を神は与えられました。それ がキリストの復活なのです。論より証拠、歴史 上に起きたキリストの復活が答えなのです。この復活が単なる空想ではなく、歴史的な事実で あるからこそ、キリストを信じる我々も、同じ く現実に死から復活するとの希望を持つことが 出来るのです。