人はどこから誕生したのか?その問題に関し て聖書は、「神が人を創造した」と述べます。 しかし日本においては、学校で進化論が教えら れており、人は猿から進化したと説きます。で は、その進化論は正しいのか?それをこのシリーズで見ています。
今迄見てきましたように、進化論はあくまで理論に過ぎず、実際に検証すると大いに間違え のある理論に過ぎません。今回は、「種(種類)」という観点からこのことを見ていきたいと思います。聖書は神が動物や植物を創造されたとき、「種類に従って創造した」ことを述べます。以下の通りです。
〔聖書箇所〕創世記1:24,25
1:24 ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。
1:25 神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
神はこのように生き物を種類にしたがって創造されました。そして、そのことをわざわざ聖書で述べています。ですので、この神の造られた区分、動物や植物の種(種類)の区分とは、 ある意味、絶対的なもの、簡単には崩せない、 超えることの出来ない区分であることが想像出来るのです。
犬という種(種類)とそれとは別の種(種類)である猫との間には決して越えられない壁、 神の作られた絶対的な区分があるように理解出来ます。さて、このような聖書の神の語られた種に関することばに挑戦するかのように、ダー ウィンは進化論を唱え、「種の起源」という本を書きました。
その本の中で彼は、「現在ある全ての生き物の種は、始めは簡単な1種類もしくは数種の種から分岐して誕生した」と述べました。すなわち、彼はそれぞれの種の間に絶対的な壁や区分が存在するなどとは認めなかったのです。さてこのように、 「種」に関して聖書の見解とダーウィンの理論 は全く異なるわけです。では、どちらが正しいのでしょうか?
結論は既に出ており、聖書が正しくダーウィンは間違えています。現在では犬と猫のように各種(種類)の間の区分は絶対的なものでありこれを超えることは現実には不可能なことが証 明されています。
すなわち、それぞれの種(種類)の間に神ご自身が不妊という壁を作って、神が定められた 「種類」が混ざらないようにされたのです。分かりやすい例で言えば、ラバがその一例です。 ラバは雄のロバと雌の馬の間に生まれた雑種です。そう聞くと馬とロバの種の壁が壊れた新し い種、あるいは「種類」が誕生したように見えます。しかし、あにはからんや、ラバの雄と雌とかけ合わせてラバの子どもを作ることは不可能なのです!不妊という不動の壁を越えること は出来ないのです!より多くのラバを生むためには、雄のロバと雌の馬を交配し続けるしか方法はないのです。神が定められたこの生物界の原理は、著名な進化論者の動物学教授であるリチャード.B.ゴールドシュミット教授によって立証され、こう書かれています。「種の境界線を越えたケースはなく、その種に最もよく似た次の種との間にも、不妊という乗り越えられないギャップがある。」(「進化論の物質的基礎」R.ゴールドシュミット著。 165ページ)
かくのごとく、「種」という一点を考えて見ても、ダーウィンの進化論とは人間の浅知恵に基づく理論に過ぎないことが分かるのです。