私のカルト脱出記:4.真理とは何か?~単一人格のエホバ?三位一体の神? | JW2世の探求の軌跡〜エホバの証人からキリストの証人へ

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JWの中には真理は無く、偽善だらけでした。エホバの証人が「偽りのキリスト教世界」と呼ぶキリスト教徒の中には、神と聖書を愛する本物のイエスの弟子たちがいたのです!

 

4.真理とは何か?~本当のイエス・キリストと再会~

エホバの証人の組織の信頼が崩れてしまいましたが、この組織が偽物だとしたら、本当の真理とはどこにあるのでしょう?

聖書を正しく知りたい思いを持った仲間とはどこに行けば会えるのでしょうか?

私はエホバの証人の教えを一旦白紙にして、図書館でキリスト教の本をむさぼるように読む日々を過ごしました。

 

拠り所にしていたエホバの教えを捨てることは恐ろしく、毎日「真理を教えてください」と神に祈りながらの調査でした。

その時、励みになった曲があります。「You Raise Me UP」です。なぜかこの曲が聞きたくなったのです。

 

歌詞を読むと、聖書の曲ではありませんか!

私はこの曲を聴いて、ペテロは湖の上を歩いて沈みそうになったとき、イエスが手を掴んで助ける場面が脳裏に浮かびました。

「大丈夫。どんな真実を突きつけられたとしても、イエスが私を支えてくれるはず!」と励みを受けながら本を読み続けました。

 

驚いたのは、エホバの証人以外にも聖書を誤りなき神の言葉だと信じて聖書と向き合い、真理を探求している人がいることです。

※エホバの証人は一般のクリスチャンは聖書をほとんど読んでいないと教えられています。

 

<決定打となったのは最も受け入れ難かった「三位一体」>

エホバの証人と一般のキリスト教の最も大きな違いは、三位一体の教えです。対してエホバの証人の神「エホバ」は単一人格の神です。

イエスの死と埋葬と復活は素直に受け入れることができましたが、三位一体だけは非論理的に思え、ものみの塔が説明する反三位一体論 (つまり父なる神が唯一の神ならば、イエスは神であるはずがないという教え)が正しいと思っていました。しかし同時に疑問に思ったのは、キリスト教は沢山の分派があって教理もバラバラに分裂しているのに、なぜ三位一体に関してはカトリックも聖公会もプロテスタントも一致することができているのだろうと。

 

そこで私は今まで聖書から三位一体について検証することはしていなかったことに気づきました。そこでウィリアム・ウッド氏の「異端の反三位一体論に答える」の本を祈りながら恐る恐る読み始めました。三位一体を支持する御言葉が次々に突き刺さり、神概念の土台を崩されました。

 

「私の信じていた神は何だったのか?

真の神は何者なのか?

今まで信じ従ってきたイエスは何だったのか?

イエスは被造物なのか、神なのか?」

 

と考えると夜も眠れませんでした。

 

翌日、あるキリスト教メディアの三位一体の連載記事を見つけました。そこで夫婦は2つの人格だけど、神の目からは「ふたりではなくひとり」マタイ19:6,新改訳(新世界訳では「二人ではなく、一体」)だという説明を読んで、「複数の人格を持つ存在が一人として取り扱われているということは、三位一体という考えも理屈としては、あり得るかもしれない」と思いました。

 

<「神は愛である」ヨハネ第一4:8ならば・・・>

別の記事では、「愛の神であるならば愛する対象となる別の人格との永遠の交わりが無ければならない」という説明を見つけ、ひとりぼっちの神では愛の無い神になってしまう。つまり、エホバの証人の教える単一人格の神は愛の神ではなく、孤独の神なのだ。

神が愛を体現したお方であるとするならば、複数の人格を持っている方が筋が通っていると思うようになりました。

 

それでも今まで信じてきた神を否定することは難しく、素直に信じることができませんでした。

 

「神様、聖書によればイエスも神なのでしょうか。もしそうなら、イエスを神様として崇拝しても良いのでしょうか。もし間違ってたら分かるように教えてください。真理を教えてください」と祈りました。

 

そして聖書を新改訳聖書から福音書を読みなおしました。特にヨハネの福音書を読んだ時に、イエスが神であることが分かる聖句が次々に飛び込んできたのです。さらに、エホバの証人の教理を前提に読むと理解できなかった聖句が、三位一体の神であるという前提で読むことによって理解しやすくなる聖句もいくつも出てきました。

 

特に衝撃的だった3つの聖句を取り上げます。

 

ヨハネ 14章(新改訳)

10節「 わたしが父におり、父がわたしにおられる」
17節「 その方は、真理の御霊です。・・・その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
20節「あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいる」

ヨハネ14章10節でイエスは「 わたしが父におり、父がわたしにおられる」、17節では「 その方は、真理の御霊です。(中略)その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」、続く20節では「あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいる」と宣言されています。

「このみ言葉は三位一体の神でなければ成り立たない聖句だ!」そう思わないわけにはいきませんでした。

 

ヨハネ 20:28、新改訳 「トマスはイエスに答えた。『私の主、私の神よ。』29 イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』」(ちなみに新世界訳もこの部分はほとんど同じ訳文です)

イエスに対して「私の神」と呼びかけているのに、イエスは否定しませんでした。

 

イエスから「ここまで聖書に私が神であると書いてあるのに、まだ受け入れることができないのか」と言われているようでした。

そしてヨハネ20章28節の聖句を受け入れ、「私の主、私の神」という信仰告白にたどり着き、祈りました。

 

「私は父なる神が単一人格の神であり、イエスは神であるはずがないと信じていましたが、間違っておりました。唯一まことの神は三位一体の神であり、イエス・キリストも神であることを信じます。」

 

そう祈ってから不思議と平安な気持ちが心に宿り、日ごとにイエスを神として礼拝しても良いのだという喜びが強くなっていきました。

Ⅰヨハネ 5:20、新改訳 「また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」

 

その日から、私の心は爽やかな風が吹いてきたかのようでした。

日ごとに不思議な平安と、心から慕ってきたイエスを神として礼拝しても良いのだという喜びが強まる体験をし、イエスが神であることの確信が強まりました。

 

私が6年前にヨハネ21章15-17節で出会った本当のイエス・キリストと再会した瞬間でした。長い回り道でしたが、ついに真のメシアである本当のイエス・キリストを見つけることがでたのです!

 

「イエスは主なり」という信仰告白によって、救いに至る信仰の最後のピースが揃ったのです。

信じる対象がまことのキリストへ回心し、新しい命が与えられた瞬間だったと思います。

 

(ローマ 10:9) …あなたは,イエスは主であると口で人々に伝え,神はイエスを生き返らせたと心の中で信仰を抱くなら,救われるのです。 

 

ものみの塔の教えるイエスは聖書の教えるイエスとは相容れない「別のイエス」(コリ一11:4)について教えていたことになりますので、私は今まで同名の別人「イエス」に従わせられていたことに気づいてしまいました。

エホバの証人は、「偽りの宗教は神について正しく教えてこなかった」と特にキリスト教世界を糾弾していますが、聖書の教える真の神について正しく教えてこなかったのはものみの塔・エホバの証人の方だったのです。

「エホバ(ヤハウェ)」についても聖書の教える本当のヤハウェとは三位一体で、エホバの証人の教える「エホバ」は唯一位格の神ですので、「同じ神を崇拝しているんだ」なんてとても考えられませんでした。

 

 

 

 

「エホバの証人は聖書を利用して組織が作り上げた全く別の神を崇拝させられている…これは偶像崇拝だ!もうこの組織に留まって偶像崇拝に関わることはできない」と思いました。

 

エホバの証人の家庭に育った者として、エホバの証人を辞める決意をすることは、家族の分裂と、家族やエホバの証人の友人たちからの徹底的な忌避を覚悟することを意味します。でも真理を知った以上、もう暗闇の世界に留まることはできませんし、後戻りすることは本当の意味での背教を意味しますので、できるわけがありません。

 

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