あらゆる宗教の教義には大小はございますが下記のような罪があると言われています。




怒り、愚痴、貪欲が悪や罪の元だと言われております。しかし本当のところその元なる動機は不明でした。



ここで第三の真理では何と言われているかと申しますと



堕落の動機

神は天使界を創造し、ルシファーを天使長の地位に任命しました。




ルシファーは天使界に対する神の愛の伝達者であり、それはアブラハムがイスラエル人に対する神の祝福の伝達者であったのと同じです。




この地位において、ルシファーは事実上神の愛を独占していました、しかし、神は人間を神の子として創造した後、しもべとして創造したルシファーの何倍も愛しました。




実際、ルシファーに対する神の愛は変化せず、人間創造の前後でも同じでした。




しかし、ルシファーは神がアダムとエバを自分よりも愛しているのを見て、神から受ける愛が減ったように感じました。




この状況は、イエスのたとえ、ぶどう園の労働者に関する聖書のたとえ話に似ています。





朝から働いていた労働者は正当な賃金を受け取りましたが、後から来てあまり働かなかった労働者が同じだけの賃金しか受け取っていないのを見て、彼らは賃金が足りないと感じました。





ルシファーは、自分が受けるべき愛が足りないと感じ、天使界で神の愛を伝える媒体として享受していたのと同じ中心的な地位を人間社会でも手に入れたいと考えました。





これが彼がエバを誘惑した理由であり、これが霊的堕落の動機でした。





宇宙の万物は、愛によって神様の支配を受けるように創造されました。




したがって、愛は生命の源泉であり、幸福の鍵であり、すべての存在が目指す理想の核心です。




愛を受ければ受けるほど、美しく見えるのです。




神様の僕として創造された天使が神様の娘であるエバを見たとき、彼女が彼の目に美しく見えるのは当然であったのです。




また、エバが自分の誘惑に応じるのを見たルシファーは、彼女の愛の刺激を非常に魅力的に感じました。




この時、ルシファーは、どんな結果になっても手に入れたいと思ってエバを誘惑していたのです。




過度の欲望によって自分の正しい位置を離れたルシファーと、時が熟する前に目を開いて神様のようになることを願うエバは、共通の基準を作って同調行為を開始したのです。




そして、調和作用によって生じた非原理原則的な愛の力は、二人を霊界での不倫関係へと導いたのです。





すべての存在は、愛によって一体となれば、互いに要素を交換するという原理に基づいて創造されました。




したがって、エバが愛によって、ルシファーと一体となったとき、彼女はルシファーからある要素を受けたのです。




第一に、彼女は創造目的に背いたことに対する良心の呵責からくる恐怖感を受けたのです。




第二に、彼女はルシファーから、自分の本来の配偶者が天使ではなく、アダムであることを悟る知恵を受けたのです。




エバが天使長から知恵を受ける立場にあったのは、彼女が未熟であったのであるからであり、彼女の知恵は、天使として成熟した天使長の知恵ほど成熟していなかったからです。



怒り、とは天使長ルシファーの思った神の愛の減少感から来る怒りでした。




愚痴、とは堕落したエバがへびに騙されて食べたと愚痴りながら恐怖を和らげるためにアダムを誘惑し肉体での堕落を行いました。この悪癖は末裔まで残存することとなりました。




貪欲、とは足るを知らない事です。



もっと分かりやすく言いますと分をわきまえる事です。天使は神から与えられた責務を放り出して支えなければならない生徒であるエバを誘惑し堕落したのです。



人間の主要な罪の出発点は人類の出発点からつまずいていたんですね。天使長ルーシェルとエバとの霊的堕落とエバとアダムの肉的堕落から人類の悪癖が始まった訳です。




ここで重要なのは愛が減少する思いがあると言う事です。愛の度合いは変わらないのに環境が変化する事で愛が減ったと感じる訳です。




このことがわかっていれば人生に訪れるあらゆる困難をコントロールが可能となるかと思います。そして、苦境のあなたも神は変わらず愛してくれている事を信じて下さい。


⚠️ 天使長ルーシェルはサタンの前身 知の教育者