私のイエス様との出会いと贖罪と真理について

 



私が今まで聞いて感じて考えた真理とイエスキリストの事をお伝えします。

 



私が26歳の時、教会の説教を聞いている時、自分の意思とは関係なく急に泣けてきて、尋常では無いくらい涙が出て、止まらなくなりました。他人には分からないでしょうが自分が今まで経験したことのないこの涙の理由は何なのかとしきりと原因を探しました。



その原因はイエスキリストの真実の十字架に掛かられた事情が呑み込めたからにほかなりません。

 


なぜ、イエス様は十字架にお掛かられたのでしょうか、この答えを知る者はおそらく多くのクリスチャンの中でも少ないのではないでしょうか?



聖書にはイエス様の家庭の事は殆ど語られませんが誕生当初から蔑まれてながら生きてこられました。




何故でしょう、歴代の宗教家や哲学者がその思想を訴える前後は不遇の中から誕生し経過し中には悲惨な殉教をします。イエス様もその例外ではなく、そうなったのです。



理由は神から誕生した人間は元から負い目があるためにそれを解消するために、罪を償わなければならないからです。



贖罪が成されなければ救いができないのが人間であるのです。



イエス様の場合は特別な使命で対人類の救済という最も重大な責務があったためその清算の過程は聖書では書かれていませんが筆舌に出来ないほどの出来事だったのです。



では、贖罪はどのようにしたら解消されるのでしょう。いや、その前に贖罪の根源、罪とは何でしょうか?



一般的には自分の犯した罪、殺人、窃盗、嘘、言い訳、姦淫など連帯の罪、民族や国家が犯した犯罪 戦争や紛争での集団での犯罪。



その中でも原罪を述べる宗教もあります。



それがキリスト教です。はっきり言って原罪とはよくわからない概念です。



しかし、聖書にははっきりと書かれています。イエス様は




マルコによる福音書    

7/21 ‌すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、



7/22 ‌姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。



7/23 ‌これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。と語られています。




その中でも姦淫的罪 姦淫好色であると決定されております。しかし、現世での実情はどうでしょうこの全てが横行しておりますがことさらに罪だと明確にされないのが姦淫の罪なのです。




しかし、時代と言う時間が経過した今日では次第にこの罪も悪だという認識が出てきました。

イエス様はもっと厳しく言いました



マタイ福音書    5/27‌『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。




5/28‌しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。



 5/29‌もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。



五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。



5/30‌もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
 


好色の目で見ただけでも罪であり地獄に入る一因であると言うことです。



なぜ、こんなに厳しく言われたのかつい最近までわかりませんでした。



しかし、第三の真理ではっきりしました。聖書は罪の根源が姦淫でありそれが原因で人類の行く末が地獄化するのが分っていたのでその防波堤的意味で神が書かれたのです。




神が書いたのかが何故、分かるのか。ですが聖書の中には非常に意味が解らない箇所がいくつも出てきます。



その代表的なものがヤコブがエソウを騙して長男の権利を奪う件です。




または、ヤコブが天使と格闘の末イスラエルの称号を与えられたのか、全く今までは意味不明でしたが、ここに来て第三の真理で明確になったのです。



つまり聖書は人類は分からないように秘密の文章で神が書いてそれを解く人をのちの世に送り出し



その秘密の文章を解く方とその解釈文がこの世を救うという筋道を作られたのです。



ですから聖書は秘密文書でありこれを解く書物は旧約聖書から新約聖書から第三の書であり第三の真理、最終真理となるのです。



少しずつ追々、この第三の真理を明かしてまいります。