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みことばの祝福をお届けします
2024年11月17日 聖日礼拝
恵那クリスチャンセンター
メッセージ:神内源一牧師
「 礼拝が先、祝福が後」 2
「だれも、何も持たずに、わたしの前に出てはならない。」(出エジプト23:15)
礼拝に来る時に空手で来るなとありますが、
何かを捧げに行くのです。
今日皆さんは礼拝に参加されています。
あなたは何かをもらいに来ていますか。
神の祝福をもらいに来ていますか。
それとも神に礼拝を捧げに来ているのでしょうか。
祝福される生き方というのは、私たちが捧げる時にやってくることを知っていきたいと思います。
アブラハムは、今 祭壇を築き、礼拝をしに来ました。
捧げるものは何でしょうか。余りものでしょうか。
いいえ、彼がやっと手にしたイサクです。
神はあなたの一番大切なものを捧げよと言ったのです。
収入があり、経済的には潤って色々なものも買える方は、
アブラハムがイサクを捧げよと言われたように、
大切なものを捧げるように言われることがあるかもしれません。
神様は聖書の中でみことば通りのことを要求しています。
それにあなたは応えるでしょうか。
アブラハムは自分の一番大切なイサクを捧げることに躊躇しなかったのはどうしてでしょうか。
私たちがその信仰の心髄をしっかり知った時、
動かない者となります。
アブラハムは信仰がしっかりしていたので、
動かされません。
彼は目の付け所が違うのです。
世の中の一時的な持ち物や幸せに目を向けていると本当のものを見失ってしまいます。
みことばはとこしえまで残るのです。
私たちが見続けなければいけないもの、
また握り続けなければいけないものが
何なのかを分かっていれば、
試練が来た時、正しい判断ができます。
教会に行くのをやめたら十億あげますと言われて、
一瞬でも心が動くならあなたはみことばを握っていないという証拠です。
神様はアブラハムの信仰が
本物かどうか試しておられるわけです。
イエス様のおかげで、私たちは試されても
後で悔い改めればなんとかなります。
感謝です。
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アブラハムが躊躇なく刀を振り上げて
イサクを屠ろうとしたかについて伝えている箇所が新約聖書にあります。
続く
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