流産・死産・人工中絶。

 

清らかな生命を、

この世に生み出せなかったお母様の、

嘆きや自責の念は、

哀切極まりないもの。

 

寺院に赴き、

塔婆を立てたり永代供養することも大切。

 

だけど、

お金を出せばそれでいいのかというと、

そうじゃないような気がするの。

想いや祈りも重要だよね。

 

・・・これは、びびこの場合なんだけど、、、

 

あ、いえ、

私が妊娠したのではなく笑、

私の母が中絶したことを知った時のお話・・・

 

 

 

あれは、中学生の多感なときだったわ。

 

親戚のおばさんが、

「あんたのお母ちゃん、今、中絶手術に行ったから」

と、言われた時、すごいショックだったの。

 

もしかしたら、意地悪なのか、

それとも、

母を気遣って欲しいという意味なのか、

親戚のおばちゃんの真意はどっちかわからないけど、

とにかく私は、

母に不信感を抱くし、

また、

自分の弟か妹になる命と、

どう向き合っていいのか、

苦悩したわけ。

 

そこで閃いたのが、樹木葬

 

お小遣いで金木犀の苗木を買って、

その名前を「カオル」と名付けて、庭に植えたの。

男か女かわからないから、

どっちでもありな中性的な名前で。

 

沈丁花の苗木に水をあげることで、

心の中のモヤモヤが、

少しは整理できたような気がして、

少しだけ眠れたように記憶しているわ。

 

 

ところで、なぜ、水子というかというと・・・

 

この世の光を「見ず(水)」に生まれた命を、

昔は、川や海の「水辺」で弔ったという説から。

 

また、

『古事記』の中で、

イザナギとイザナミがはじめて生んだ子供が不具の子「ヒルコ(水蛭子)」にちなんだという説もあるの。

 

ヒルコは、

いったん海の向こうに流されてしまうけど、

やがて七福神のエビス神となって、

福をもたらすという伝説もあるの。

 

祟り神を守り神にするのは、

手を合わせて祈る愛の力なのかも・・・

 

 

もうすぐ、あの世とこの世が曖昧となる秋分の日。

 

 

今や実家の庭は、

コンクリートの駐車場になったけれど、

金木犀の花の匂いを聞くたびに、

私は、カオルのことを思い出して手を合わせています。

 

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