映画が好き『明日に向かって撃て』 | 浅次郎のブログ

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猫の浅次郎と仙太郎、そして人間の浅次郎(私)
この3匹(?)で、くだらないこと真面目なこと
大好きな映画のことなど書いていくよ。

1969年のアメリカ映画です。

「モダン・ミリー」(1967年)「スティング」(1973年)などのジョージ・ロイ・ヒル監督の作品です。

ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが共演しています。




あらすじ…

1890年代の西部、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)の二人組は銀行強盗などを繰り返していました。

ある日、別の二人組の誘いで列車強盗をしたのが成功し、これに味をしめ、再び列車強盗をすると、なんと、今度は最強の殺し屋集団に追撃されることになりました。

この殺し屋集団は、度重なる列車強盗に怒った鉄道会社が莫大な金で雇ったものでした。

殺し屋は追撃の手を緩めることなく執拗に二人を追ってきて、この時は一か八か崖から川に飛び込んでどうにか逃げ切ることが出来ましたが、その後も追撃の手は緩められず、ひたすら二人を追ってきていました。

この執拗な追撃を逃れるため、ブッチとサンダンスはエッタ(キャサリン・ロス)を連れ、三人で南米のボリビアに向かいます。




ボリビアは想像してたような国ではなく、二人は再び銀行強盗を繰り返すことになります…




ウィリアム・ゴールドマンが、1960年代に史実を調査し、1890年代にアメリカ西部から南米にかけて悪名を轟かせた実在のアウトロー、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの物語を8年もの歳月をかけて脚本にしました。

当初はブッチ・キャシディをスティーブ・マックィーンが演じる予定でしたが降板、ジョージ・ロイ・ヒル監督の薦めでサンダース役で出演予定だったポール・ニューマンがブッチとなり、サンダンス役は当時無名だったロバート・レッドフォードが起用されました。

まだ売れてなかったレッドフォードの起用は映画会社から猛反対にあいますが、ポール・ニューマンの妻や監督の強い推しの甲斐あって無事キャスティングされることになりました。

レッドフォードといえばサンダンス映画祭でも知られていますが、この名前は「明日に向かって撃て」で演じたサンダンス・キッドに由来しています。

なお、この三人(ジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード)はのちに「スティング」でもオスカーを獲得します。




ロバート・レッドフォードはこの映画で俳優として一躍スターダムに、1970年代にはハリウッド屈指の美男俳優として数多くの映画に出演しています。




サンダンス・キッドの女エッタ役のキャサリン・ロスですが、「卒業」(1967年)でダスティン・ホフマンと教会から逃げる花嫁として出演していますね。





彼女も「明日に向かって撃て」で人気スターとなり、その後はテレビ出演が多くなりました。

挿入歌の「雨にぬれても」も広く知られています。




作曲家のバート・バカラックは、ブッチとエッタが自転車に乗り楽しむシーンの映像を見ながら「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' On My Head)」を書いたそうです。

この曲を初めて映画で聴いたロバート・レッドフォードはひどい曲だと思ったそうですよ。

「雨にぬれても」を歌ったB・J・トーマスのエージェントは彼に歌わせたことを後悔したといいます。

ちなみに監督のジョージ・ロイ・ヒルは当初はボブ・ディランに歌ってもらおうと頼んだのですが、ディランに断られたと言われています。

2016年に歌手として初めてノーベル文学賞をもらったボブ・ディランですが、彼が歌ったらまた違う感じになっていたでしょうね。

ボブ・ディランの歌う「雨にぬれても」聴いてみたかったです。

この映画はアカデミー賞の監督賞、作品賞、音楽賞などの7部門でノミネートされ、脚本賞、撮影賞、作曲賞、歌曲賞の4部門を受賞しています。

「明日に向かって撃て」はアメリカン・ニューシネマを代表する一つとされ、2003年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録されました。


ラストシーンは映画史に残る名シーンとして知られています。




二人の死から100年後の2008年、ブッチとサンダンスが死亡したボリビアの村、サンビセンテに当時の手配書や遺骨などを展示する記念館が開館しました。

若き日のポール・ニューマンとロバート・レッドフォード鳥肌がたつくらいカッコいいですし、何度観てもいい映画です。


僕も二人みたいにカッコよかったら猫生変わってたのになぁ…(浅)


浅次郎兄ちゃんはどうでもいいけど…それより「雨にぬれても」の曲が流れながら自転車に乗ってる情景が忘れられないよ(仙)