ただ、感じるままに さんのブログから、
誰にでもあるんですよ Σ(´・ω・lll)
の記事が、感情のコントロールのしかたについて
すごく分かりやすく書いていたので、
自分なりの観点でご紹介します。
人によっては、何か失敗をしてしまったら誰かに
言われる前に情けない自分に対して怒りが沸いたり、
無力感を感じて悲しくなったりすると思います。
これが悪化すると常に自分を責め続けたり
無気力にさいなまれたりします。
しかし、その怒りや悲しみ自体は
自分の本当の悪ではありません。
これはただの隠れみの。
ここでの本当の悪は、自分を責めている
もう一人の自分そのものです。
ここで、自分を責めることで、自分をつるし上げることで
「これはいけないことだと自分で分かっていますよ」と
「正しさことはわきまえている」とアピールしている
もう一人の自分に気が付いてください。
あなたが自分を責めるのは、自分に厳しいからでも
真面目だからでも完璧主義だからでもありません。
それはただ、誰に言われずとも「私は分かっている」と
自分の正しさアピールするための手段に他なりません。
辛いですが、自分を自分で責めてしまうのは、
その裏にさらにこういった傲慢さが隠れているのです。
「あなたは悪でも善でもある」
この言葉を聞いて、その中途半端さに歯がゆさを
感じませんでしたか?
「悪」か「善」どっちかに決め付けてしまいたいと考える
自分はいませんか?
だとしたらそれは、それが善か悪かを正しく判断できる
もう一人の自分をアピールしたいのです。
完璧に善悪を裁ける「わきまえている」
自分に酔いしれたいんです。
だから中間だって言われるとすごく物足りなく感じてしまう。
つまり、自分を責めるという行動によって
悪いことをわきまえているという点において
自分はまともないい人だと思われたいのです。
だからこそ、この話の意味が分かったら今すぐ
自分を責めたり叱ることを止めて欲しい。
そうやって自分で自分を咎めるほど、
その陰で、鼻を高くして裁ける立場に酔いしれている
はるかに醜い自分が増徴していくだけだから。
仮想の自分を責め続けることで
自己の正しさを主張し続けている本当の自分。
自分を悪だと認めるべきなのはこっちの自分なんです。
本当の自分さえ悪なのだから、自分には
自分を裁く資格さえない。
そのレベルで謙虚になってください。
あなたには自分のネガティブな感情を責める資格さえない。
本当の自分が、今まで見下し続けた仮想の自分の所まで
自らへりくだって下りていき、同じ高さまで辿り着いたとき、
それがいわゆる等身大の自分の始まりとなります。
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