とある方のブログを読んでいて自分の育児を振り返ってみた。
太郎(長男)は保育園の頃から男の子と遊べなかったり小学生生になってもブランコをこげなかったりスキップができなかったり…
保育士に「太郎君、足が悪いの?なんだか走る時も腰がお爺さんみたいに曲がってるように見える」
と言われた事もあった。
この保育士はとても良い方でイヤミでも何でもなくシンプルに質問されたのだが、私が「そうですか?検診で足が悪いとかは言われた事ないです」
と答えたら心から「あー、そうなのね!それなら良かった♪」という感じに。
次郎(次男)はどちらかというとやんちゃで、おばちゃん保育士にも「今は保健所とか色々な相談機関があるから一度相談に行かれてみては?」と言われた事もある。
おばちゃん保育士は遠回しに〈しつけがなってない、愛情が足りてないのでは?発達障害かも?〉というような事を言っていたと思う。
このおばちゃん保育士は保護者から嫌われていた事もあり、私は「は〜、そうですか…」とスルーした。
あるママ友には「○○さん←私のこと男の子2人の育児頑張ってるね。それだけでもすごいよ!私には無理!←この方は娘さん2人」とも言われた。今思えば軽くディスってたのか。
ちなみにこのママ友さんの次女は高校生の頃からパパ活したり整形したり親子の関係も崩壊してしまった
そんなことはどうでもいいのだが、
小さい頃の事を振り返ってみて色々と思い出す事はあるが、もう20年以上前の事。今ほど〈発達障害〉〈ADHD〉というものが世の中に出回っていない言葉、障害だった。
男の子2人の育児は大変っちゃ大変で、特に太郎に関してはずっと〈発達障害〉を疑うような育児だった。
今の時代だったらもっと色々相談していたのかな。発達検査とかしていた方が良かったと思う反面、した所でどうにもなる訳ではない、という思いを持ち続けていた。だから本もたくさん読んだしこれも個性(特性)なんだと認めてグレーではあると思うがあとは太郎がなんとか独立してくれればと。
障害の度合いは様々で、はっきりと重度自閉症と診断されたり知的障害の子もいる。その子の親子さんのその診断をくだされた時の絶望感、落胆は想像するに易し。
でもうちは、ただ私の頭の中だけで成り立っていた落胆なのだ。1番大事な事は子供の自己肯定感を落とさないこと。
太郎に関して言えば私はそれができなかったと反省しているし今でも「ごめんね」と謝りたい思いだ。ネチネチと自己肯定感を落とすような事ばかり言ってた。
それでもなんとか昨年11月に太郎は独立できた。
1口コンロで毎日自炊していると写真を送ってくれる。心配で、「元気にやってるか?」とLINEすると「元気、元気!」と返信がある。こんなに嬉しいことはない。もうこの言葉で一生食っていける!と思う。
次郎はまだ夢半ば芸人の🥚で、独立できていないが
毎日心から楽しんでいる。養成所でも一目置かれているっぽいと嬉しそうに話してくれる。
太郎が11歳の時、財産なし貯金なし借金ありでスタートした母子家庭。両親もおらず、彼氏もおらず、近所に身内もおらず、突っ走ってきた10余年。
それでも芸は身を助くではないけれど、1つの仕事に長年就くことができ、周りの友達、ご近所、横浜にいる数少ない身内に助けられ、天国にいる母叔父さん叔母さんばあちゃん従姉妹達に守られて、ようやく目鼻がついた私の福笑い人生。いいことばかりではないけど、今はとりあえず、まずまずかなと思う。
そして来週、友人と十何年ぶりかのスキー⛷️友人はスノボ🏂をしに行く。ワクワクドキドキ💓新幹線に乗り遅れないようにする事だけが今から心配でたまらない笑