感謝すべき現実も、ある。
テレビで若年層のホームレスの特集をしていた。
19歳でホームレスを始め、
31歳現在までホームレスをしている。
なんでそんな暮らしで大丈夫なのか、
信じられない。
負け犬め。
汚らしい。
そんな感情が、なかったかと言えば、
嘘になる。
俺は、同じ人でありながら、そんな気持ちでその人のことを見ていた。
報道員が
「親は頼らないのか」
と質問したら
「親はいないんですよ。孤児なんで」
と笑顔で話していた。
「ホームレスの100円は、一般人の1000円」
こう話すホームレスは、
俺には、彼が自分を惨めだと思っているようには見えなかった。
当たり前のように、
自分は自分の暮らしをしているといった感じだった。
真意は分からない。
ただ、はじめから親がいないという事実が、ひどく可哀想に思えた。
そして、その出発点から、
もしかしたら、未だに脱せていないんじゃないかと思った。
そうだとしたら、
それはどれだけ大きな悲しみだっただろうか。
そして、自分は親がいて、今まで恨んできたけれど、どれだけ幸せを享受してきたのか、未熟ながら感じることができた。
私には、何もせずとも家があり、
何もせずとも食べることが出来、
何もせずとも高校に行け、
大学に通い、
就職した。
私は会社に入ることができた。
自分で収入を得て、
家賃を払い、
食べ、
人と交際し、
今、より良い生活に向けて人生を歩むことができる。
もし、始めにつまづいていたなら、
今ある私の人生の全ては、
崩れ去っていただろう。
加えて私の親は、
病弱ながら、
私には強い肉体を与えてくれた。
それは、小さな集団であればトップに立てる運動神経であり、生まれつきアレルギーもない皮膚や臓器であり、
昔は割とイケメンと呼ばれた顔であり、良くもないけど悪くもない頭だ。
上記の生まれ持った資質は、
時に私を孤独にもしたが、
孤独の中でも生き延びるためのプライドとして、私の命も支えてくれた。
今、自分が人として生きる中で、
人間関係を大切にせずにきた事は大きな反省事項であると共に、
上記の資質に加えて、私も人と生きる道を選ぼうなどと、密かに考える次第である。
親がいる。
この事は、いない事と比べたなら、
幸せなことだ。
どれだけ親が居なければよいのにと思った事か分からないが、
本当にいなかったなら、
私の人生は、立ち直す事が出来なかっただろう。
幸せの尺度は、
どんなモノサシで測るかで、
違うのかもしれない。
私は、人より優れている、
私にはよい友達が沢山いる、
私の恋人は最高に可愛い、
人生最高の瞬間は勝利する時だ、
人の幸せはそれぞれだが、
上のように、いくつかの条件が揃わなきゃ手に入らない条件とは違う、
原始的な幸福感といのは、
極端な例を見なければ気がつかない。
自分がどれほどの幸福を持っているのか、持っていない人と比べれば、
分かる。
自分は、ある程度幸福である。
この事実を胸に生きて行ければいいと思う。
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