人生。

人として生を受け、
人の中で生きることを余儀なくされた、自分の人生について。。。

人に生まれて良かった。

そう心から思える人生だとは、今のところ言い難い。

人格、能力、愛、心、職業、性、友、
善、悪、体、環境、財力、精神、その他。

人に生まれた以上、
人の間で活き活きと生きていかなければ、上記のようなものを、満たし、継続して幸福を感じ、生きていくことはできない。

また、周りの人が不幸になる事によって、自分もまた不幸となるのであるから、他人の不幸もまた、放っておくべきではない。

例えば、親友が死んだとしたら、
俺の幸福度は、きっとすごく下がる。

だから親友が死にそうだったら、
俺もできるだけ助けないとダメだ。

仲良くなった人にはそう思える。

でも俺は根本的に、
人といる事を窮屈感を感じる。

人に気を使うのが嫌だ。
そう感じて生きてきた。

何故か権力を持った人間や、
自分が魅力的だと感じる相手には
話が通じない。

そんな決めつけが、俺の感覚にしみついていたんだ。

父と母は、俺の話なんか聞かず、常に自分の気分で俺と接していた。

父も母も、人間関係を築くのが、下手くそなんだろう。

二人とも今は、
生活保護を受け生きている。

母は、腰を痛め、父は活動不能になるまで酒を飲み、肝臓を壊した。

こんな屑どもに国が金を払うなんて、
間違ってる。

俺が他人なら、そう思う。

だが、父も母も、生きる権利はある。

人に迷惑をかけ、
いつまで生きるのか。

少しは、誰かのために生きたらどうだ。

俺は、あんたらを育てたみたいな言われ方をするけど、ホントにこの言葉で泣きそうになる。

生まれなきゃ良かったのに、と。

でもね、『君に会えて良かった』
そう言ってくれる友がいるんだ。

それから、
話が通じる相手がいることも分かった。

最近の俺は、
人脈も少しづつ広がって、
俺なんかとは違って、
ホントに人との繋がりを大事にしている人と出会った。

その人は43だけど、大事な事を笑いながら沢山話していて、俺が本物だなと思える人だ。

能力の面では、仕事ができるMGにも恵まれているしね。

本物と思える人と触れる時、
時々顔向けできない事があるんだ。

その人の言う事は素晴らしくて、
俺の感覚は悲しい程身勝手である時。

人との繋がりを大切にしてこれなかった自分への悔やみの念。

それから、そうなれなかった環境への、恨みの念。

自分のせいじゃない。
俺は中学、高校まで1番に様々な分野で学年トップクラスになる能力を持っていた。腐らせたのは親と学校だ。

そんな感覚。

そんな高校時代、逃げるようにして俺はアメリカへ。

留学したのは、運命から逃げるためだった。

もう嫌だった。

でもアメリカに行ったとしても、
そんな感覚の俺が場に馴染めるはずはなかった。

何人かの留学仲間くらいの友達しかできなかった。

普通じゃない、変だ。
そこでも俺は、能力で目立つしかなかった。

アメリカで生徒副会長に就任。
アメリカでは華々しいことだ。

俺は、わけのわからないまま、
臭いものに蓋をしたまま、心ない小さなスター(見せ物のパンダ)として、人生を歩むこととなった。

そん時からずっと感じてた、
息苦しさと、寂しさ、
これをどうやっても乗り越える事が、
俺の大目標。

簡単じゃない。

いつも通り生きてたらできない。

意識しなくてもできるようにするには、どーしたらいいんだろう。












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