今日は仕事を早く終えて、
美海先生の指導を受けに行った。

変な話だが、そこに美海先生は現れなかった。

は?

なぜ?

理由は、俺に成長の度合いが見られなかったから。

始めは意味が分からなかったが、

説明から俺のブログを、チェックしてくれていることと、

会わないのは取り組みに真剣さがかけていることが分かった。

変な話だが、この時ムカついた反面、俺は嬉しかった。

自分であなたは面白いから、なんて言っといてなんだよとも思ったが、それより俺の不真面目さを見抜いてくれる人がいることが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


帰り道、不真面目さってなんだろう、と思った時、絶望という答えに辿り着いた。

自分はあーなりたい、こうなりたい、と思っていても、結末に絶望しか感じられなければ、その人の取り組みは不真面目になっていく。

俺は、まさしくその状態だ。

一回目、美海先生に会った時、何かの手応えは感じたものの、自分に対し、変われるんだという確信は持てずにいた。

実はブログに関しても課題だとは思っていなかった。
結果として先生には会えなかったのは残念な気もする。

でも先生は、ピュアに俺の取り組みに対して応えてくれた。

嫌な感じだが、大きな気付きが得られたので無言のレッスンということにする。

お前は自分の取り組みに真剣に取り組んでいるのか?

希望を持って取り組んでいるのか?

いや、取り組んでいなかった。

希望が持てなかったから。

今でも俺の中の絶望と希望のブレンドは7:3で絶望優位である。

しかし、美海先生が与えてくれた3の希望は大きい。

そして、希望を持てないことに関しては、真剣に取り組むことは難しいことが分かった。恐らく結果も伴わないことが容易に想像できた。

真剣さも不真面目さも、伝わる人には伝わるんだな。

理想型は、絶望の中でも常に希望を見出して進めることだ。

これは現状99%不可能に近い。
どうしよもなく思えることや、実際どうしようもないことだってある。悲しみや怒り以外感じられないこともある。
それでも、100%とは言い切ることができない。やはりそこには、1%の希望は必ずあるように思える。

やらなければならないことは、希望に向かって取り組むしかない。

1%の希望に向かってルートを作ることだ。

それでも100%絶望感を感じる時は、1%の希望が生まれるまで待つしかないだろう。

不真面目とはよく言ったものだ。
あまりにも今の自分にぴったりで嬉しすぎる。

ただ、説明を聞いていて思ったことは、俺はたぶん少しアカデミーの人とは毛色が違うんじゃないかということだ。

説明を聞いていた時、課題に取り組むことで美海先生を信じるようになると言うような匂いを感じた。

なんか違う。
皆こうだったらどうしようと思った。


信頼はしても、答えは自分で出すものなんじゃないか。

最終的には信じて一緒に居続けるんじゃなくて、感謝して卒業するんじゃないか。

何より恐ろしいのは、人を完全に信じ、自分の選択ができなくなり、結果人のせいにして、後悔することだ。

俺は、そうなる可能性のある男だ。
かっこ悪い男だ。
母が恨みという感情を用いて俺に教えた教訓である。
ここは、今は譲れない。


これは、俺が過去に経験している、失敗のパターンそのものだから。

それとも信じるという状態になるには、違うパターンがあるのか。

今はまだ分からない。
そこに関しては絶望感100%のままだ。
だから、とりあえず待つ。

そして、今回気付いた不真面目さに暫く焦点を当てて取り組む。

人間関係に、希望を持ち込むことだ。









iPhoneからの投稿