うちなる戦争を越える | BIBI83のブログ ビビたる音舞♪ノート<伊良部島編>
<うちなる戦争を越える>
先日、またもウチの木が勝手に切られていた。
桑、ハイビスカス、がじゅまる、そして鉢植えのモリンガ。
道路沿いの桑だけなら、ヤギの餌の為に勝手に切っていく輩の所業だとみなしたけれど、
奥のハイビとがじゅまるまで切ってあったことから、私は隣のおじいを疑わざるを得なかった。
つかつかとおじいの家に歩み寄る私を見て、
おじいは家の奥にスッと身を隠した。
これはクロだなと、私は見切った。
「こちらのおじぃではないと思うけども〜、
誰が切ったかご存知ありませんか?」
おばぁが応対し、知らないと言った。
おじいは姿を表さなかった。
翌朝も、おじぃはいつも通る私の家の前を避けて仕事場に向かった。
私はそんなに怒っては、いなかった。
いつかのように、
根こそぎやられたわけでは、ないしね。
老化による忘却か、文化の相違か、趣味か使命感か知らんが
とにかく彼はウチの木を切らずにいられないシステムになっているのだと、
まとめようとした。
そして。
怒ってはいないが、
この調子で切らせ続けるわけにはいかない。
どうしたものか…
ここからの思考回路が、
完全イカれモード。
言葉で通じないのなら。
実力行使するしかないか。
忘れてしまうなら、
忘れられない痛みを。
報復行動するしか、ないのかな。
おじぃの畑の作物を、切って差し上げるか。
野菜では生ぬるい。
大事にしてるパパイヤの木を、バサっと。
切ったるか。
今ならチェーンソーが、あるよな。
…私にそんなマネが、できるのか…
やらなければ、やられ続ける。
…イヤイヤイヤ、むりむりむりむりむり
ではどうやって、暴れてやろうか…
あそこにあるアレを蹴倒して…
アタマは勝手に
派手な報復プレイの脚本を練りはじめた。
これは戦争なんだ。
ナメられたままでは、ウチの木たちを守れない。
さて
脚本の決定稿をあげられないまま朝を迎え
出たとこ勝負をしにおじぃのもとへ。
「このお題をスルーしてはならない」
それだけを確かな指針として。
これは穏やかな交渉などではなく、
凄惨な?報復行為であることをアピる為の
「高枝切り鋏」を携えて🤣
「おはようございます。あんたウチの木、切ったよね」
「いや、切っとらん」
「切ったよな❗️」
「イヤ違うワシではない、佐良浜のヤギ飼いだ」
「奥のハイビとがじゅまるは⁉️」
「神さまに捧げる木だから、挿し木にすると言って切っていった、ワシは言ったんじゃ、持ち主が大事にしとる木だぞと」
どうやら、嘘ではないらしかった。
私を避けたのは、
事態を阻止しなかった気まずさ、
軽い罪悪感からであろう。
「ゴメンね、疑って。ゴメンね」
おじぃが私との約束を覚えていてくれたことに
安堵した私は、涙腺決壊しながら詫びた。
空には、ドラマ以上な虹が🌈さしていた。
いつも勝手に切ってくヤギ飼いには、
「所有」の概念がないだろう。
木はみんなの木。ちょっとくらい、イイさ〜、
という世界に、住んで居るのだろう。
いつかは見つけて、もう一度話をしたいけれど、
それはまた、別の物語。
その後
「ちょうどいい、ワシの方にも話がある」
と「塩工房煙問題」を突きつけられるのだが!
それもまた、別物語。
それでも
「アンタのことは、娘か親戚みたいに思っとるよ。姿が見えんと寂しい。がんばって」
と、言ってくれた。 
全人類みなそれぞれの思い込みに沿って
生きているわけだけど、
私の思い込みって
まだまだこんなレベルなんだなと。
さも事実ベースで何かを理解した氣になって
報復脚本まで練り出してくれる
この切ない、
アタマよ。。。
前科トラウマがあるほど、
「かつての事例」に沿った憶測をはじめ
幻想ベースな物語を生きはじめる。
だいたい、
「やらなければやり返される」
っていう発想、どっから来たんだろ。
やはり「進撃の巨人」の見過ぎか。
少なくとも小学2年くらいまでは、
道行く中学生に50円ちょうだいと言われれば
ああこの人お困りなんですねと
何の抵抗もなく
帽子に縫いつけた50円玉
(当時、家に帰れる片道切符が買える値段!
護国寺→麹町区間の有楽町線子ども料金)を
差し出すシステムだった。
帰宅して姉に報告したら、
「あ〜あカツアゲされたな」と言っていた。
実際には、
こちらがやってもやらなくても、
やられるときも
やられないときも、
ある。
むしろ
「報復」が何の抑止力にもならないことは
歴史が証明し過ぎているのにね。
国と国の戦争も、
こんな風にして起こったりするんだと
思う。
ただ単に
サバイバルに必死な脳
セロトニン足りてない
いち人間
追い詰められた精神が
不毛脚本を描き
それしかないと、
思い込む。
もちろん
「思い込んだ」ことにも、氣づかない。
「思い込み」を刷新する唯一のチャンスは、
自分と
そして他のいのちと
本音で関わること。
だから、
このお題を
モヤモヤしたままうやむやにしないで
ほんとうによかったと、思う。
開かずの扉、
閉じる扉もあれば
こうしてまた開く扉も、
ある。
おじぃと見れた虹、綺麗だったな🌈