人を人と思わずしてこそ | BIBI83のブログ ビビたる音舞♪ノート<伊良部島編>


<人を人と思わずしてこそ>


「自分と経験の間に人がいない」

自分の世界を隔てるものがないよろこび。

自然の中をひとり潜っているときに訪れる氣が狂いそうなよろこびは、

小さい頃はもっと日常的にあったように思う。



屋根瓦の上を裸足でそうっと歩くときの足裏の感触。空との距離。

物干しの手すりに触れる頬のざりざり感。
よじ登る塀の冷たさ。

二階の窓際、じゅうたんに差し込む陽光と影の移り変わり。

プールの底から見上げる水面の煌めき。


学校やお稽古ごとや
たくさんの他人
たくさんの情報で埋め尽くされるようになって



わたしは忘れてしまった

じゅうたんの上を動く陽光や

水底から見上げる太陽を

どれだけ愛していたかを




大人になってから

「自分と「それ」との間に他人が挟まれていないよろこび」

宇宙のど真ん中にて
すべてとともにある感覚

を濃厚に得たのは



音楽をつくる

楽曲を降すとき

歌や踊り

舞台






そして今

自然の中であらためて迎えるその至福

存在ど真ん中の至福を

人の居る世界のなかでも自分に与えるには

どうしたらいいかを

考えた



自明だった



人を人と思わずしてこそ
初めてほんとうに人を愛すことができる


そう思う



わたしが思っているところの

「人」

が結局

「適応すべき、氣を注ぐべき対象」

であるならば

その「人」という概念を捨てるしかない


人に合わせ
人をゆるし
人に文字通り「氣」を使い
人を愛し

矢印が外に向けば向くほど
まやかしに過ぎない



矢印をしっかりとウチに向ける

これをやると

こちらからの愛やゆるしの大量補填でぎりぎり持続していたアンバランスな関係性は終わっていくもの

それでいい




何度となく傷つけられる信頼

懐の刃

ざらつく

砂混じりのコミュニケーション

保身の為の嘲笑やディスり落とし合戦



それらを必死でゆるし受け入れ

そのような環境に身を置き続けることは

双方にとって

誰にとっても

愛でもなんでもない


他者の魂の自由に対する尊重がないのは

むしろこちらのほうであったと思う



自分に愛をリスペクトを与えない者の

すべての行動は

土台なき

スカスカのまやかしだ





うちなる泉から溢れ出るよろこびの循環




もしもそれだけで地球が回るとしたら?


それが可能なのが「人」なんだとしたら?


わたしは迷いなくそちらのファンタジーを
選ぶ




うちなるよろこびの泉のほとり

新しい扉の向こうで逢いましょう