<ハートと掃除とダブル・アテンション>
ハート、というより
ずばり心臓のど真ん中には
そこに居るだけで全身全霊至福歓喜
静かなるエクスタシーが天地を貫通する
顔が勝手に笑顔になってくる
尽きせぬ泉、トリガー・ポイントみたいな場所
がある。
そこで遊んでる
超マニアックな俺人体実験のはなし💓
さいきん、ひさしぶりに朝瞑想をする子になっている。
北極星行って〜🌟
地底行って〜🔥
ハートに戻って〜💓
というカンタンなもの。
10年ほど前、チネイザンを習得する前後
タオの修行として数年がっつり瞑想をやり込んだ時期があったけど
私の身体では
普段ボーッとしてるときがいちばん
深い瞑想状態に入っちゃってて
脳のパフォーマンスもよろしい
という事実が判明してからは
やり過ぎ御免
意図的な瞑想からはきほん手を引いていた。
そして
なんだかんだ
あーだこーだで
ひさびさ日課としてみると
やらないと1日がいまいち、あわあわと過ぎる。
いかに自分がまだまだ外圧で動いているか
ハートを置いてけぼって生きるのに慣れきっているかを痛感する。
あるとき
「瞑想やってるときだけじゃなくて、ずっと、居ればいいんじゃないの?
ハートのど真ん中に」
「いつもナチュラルな微笑みの泉を湛えているひとは、ここに常駐するのが上手なんじゃないの?」
と思って、実験をはじめた。
瞑想後、掃除や家事をするときも、
その「ポイント」から外れないように動く
一挙手一投足を、
そのポイントに居たまま動く
…と、
ものすごお〜くゆっくりとしか、動けない(笑)
ちょっと氣をぬくと、即!
まさに「雑巾を拭くように」
「掃除」というアタマの目的の為だけに身体をこき使っていることに氣づく。
そうすると、
「在るだけで感じられていた心地よさ」は失われる。
コレをあくまですっ飛ばさずにやると、
掃除は軽く2、3時間かかる。
かかってもいいや、と感じられる。
何故なら、やってる行動が何であれ、
恍惚だから。
そこに居る限り。
いのちの心地よさ、
より優先するものなどないと、感じる。
で、
それにしても時間を喰うので〜笑
心地よさを失わずに時短できる術はないかと模索した。
「ハートに意識を置いたまま、同時に客観意識(雑巾を使う側)も、持つ」
内側から外を観る目
と
外側から内を観る目
を同時に使う
これをやると、心地よさを失わずして少しお掃除がスピードアップした🤣
いい感じにわけわからず、
身体の快を置いてけぼらず、
この感覚は知っている…
何のことはない
人前で踊るときの意識の使いかたと一緒やん❣️
というオチ
踊っていれば
いろいろ網羅している、というオチでした🤗
ここでまた踊りに戻る。
というか
踊りから逃れられるいのちなど
ないというか。
ダンス・クラスでは、
このようなヲタク研究もシェアしております😻
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