「仕事でも何でも人とのつながりから来る。
3回断られるまでは頼みなさい」
「ええっ…3回も?…😱」
2015年夏、
東京から宮古への移住を決めた私への、
とある方のはなむけのお言葉が、
それだった。
身内も知り合いもいない離島へ1人民族大移動する、都会育ち文系インドアの私に、何でも金で解決する東京のやりかたは通用しねーぞ苦労するだろうけどもがんばりな、というエールであったと理解している。
島での生活を想像するヨユウもなく、広尾の3LDKシェアルームを必死で引き払い、マッサージ屋での住込みからスタート。
「一度も行ったことのない場所へいきなり引っ越す」
こういう身投げ行動はおパリに次いで人生2回めだけれど、今回は日本語が通じるし、移住の経緯から謎の安心感に包まれてはいた。
役に立たないプライドを捨て
メイワクだと思われる恐れを越え
外交能力の乏しさを越えて
誰かに何かをお願いしなければならない場面
はスグにやって来た。
ここではクルマがなければ仕事ができない。
教習所に通ううち、バスもなくお迎えも頼めない、遅い時間のクラスを何度か受ける必要が、どうしても生じた。
ホテルや宿舎に泊まる予算は、なかった。
意を決して、
ネット上でのやりとりが少しはあったものの
オフラインでは初めて顔を合わせたばかり、の女性に
「こういうわけで泊めていただけませんか」
というメールを送るアイディアを遂行した。
今考えても、これは、
東京では、
それまでの自分には、
あり得ない行動様式だった。
よく、よく、やったと思う。
そこからひらけた道
あたえられ
歩かせてもらった道の豊かさを振り返ると
涙しか出ない。
その方は驚くほどあっさり
快く受け入れてくれ
それからというもの
私は「ただいま」という言葉とともに
その家にしょっちゅう出入りし
ご飯を食べさせてもらい
あるときは男がどうの〜
クルマをぶつけた〜
と泣きつき
「家族」として過ごさせてもらった。
この島に来て数年を
主にこの方によってわたしは
生かされていたと言える。
死ぬとき思い出すだろう幾多の断片たち。
「かぞく」
「ともだち」
「パートナー」
これらの意味を定義を
問い直し壊し
あたらしく
試しては捨て
また試し
せかいをつくる旅
絶賛・旅の途中で
夢中で大きく舵を切った
東京→宮古の
個人的民族大移動
笑ってしまう。
運転しながら目の端に入る景色に
「海」
それも旅行パンフみたいな
CGみたいな
世界一だと皆がいう海が
普通に視界に入っていることに
なんなら軽く飽きてるくらいの
これが日常だということに
夢みたいなところで生きたって
いいんだってことに
どんな景色を
どんな風を
どんな海を
どんな空を
どんな人を
どんな街を
どんな歌を
どんなダンスを踊るのか
選べる今が
あたえられている
このキセキを
冗談でしかない
これを
書けるわけないんだけど
記しておきたくなったので。
覚えていたいことを。
時系列不連続なるままに。
<続く>
(かもしれない)
