<ネコが見ている>
「いい歳をして結婚もせず子どももいない人、パートナーがいない人の人生は無価値。望ましくない。フツウではない。人として問題、欠陥がある」
日本人の無意識にまだまだがっつりと横たわるこの手のジャッジメントと、私も無縁でいられてはいなかったと思う。
どんなに関係ない次元で生きてるつもりでも、生まれ育った国の、肌に毛穴に侵入して来るもやもやをゼロにはできない。他でもない自分がこの思考のカケラを持ってしまっていただろう。
誰かの言葉を借りては自らを裁き、傷つけたりしたこともあった。
「愛し愛されている男性の子どもを授かって生み育てたい」
女性としてのピュアな願いを持つと同時に
それが叶っていなかったことが悪であるかのような、圧を、自分の世界に招き入れたりもした。
でも、
最近思う、
すべての経験が等価だと。
負け惜しみやヘリクツではなく、
机上の綺麗事としてではなく、
肚の底からそう感じられるようになった。
マイノリティを怪物とみなしたり
矯正すべき性質、
晴らすべき闇と見る視点は
私を救わなかった。
あたりまえながら
私の経験を、他の誰もすることができない。
私の見ている世界を、他の誰も見ることはできない。
私の身体で踊ることは、他の誰にもできない。
私の生を生きることを、他の誰も代われない。
全員、全員そうだ。
生きてる人全員、
そんな機会を与えられてここにいる。
経験の機会を得ている。
そのこと自体が
全員等しくすごすぎるわけで。
経験の内容がどうでも、関係ないんだわ。
猫を撫で撫で
「大好きだよ❤️カマル」
と囁きながら
その言葉のあまりのほんとうさに
落涙する日々。
今までの経験のどれが欠けても
この可愛い過ぎる生きものと出逢い
見つめあうことはなかっただろう。
・
・ 「経験が等価」というより
「経験を分かつことなどできない」
が近いのかな。
・ 「ジブンのうちがわ」も、
「ジブンとタニン」も。
またひとつ、
いのちの輪郭を受け入れることができ
また少し、
生きてることが楽になったよ。
今までのどんな選択も
これからのどんな選択も
喜ばしく尊いものに見える
そんなニュートラルな場所で
年の瀬を迎えられることが
ありがた嬉しい。 ・
・
・
今年の誕生日は
この島に暮らす
たくさんの人の前で踊らせてもらったし
クリスマスは友人達と過ごすご縁に恵まれ
年越しもおそらくそうだろうけれど
この先1人で「その手の日」を過ごすことも
またフツウにあるだろう。
そういうとき、
誰に恥じることなく
ここに在るいのちのよろこばしさを
みていられますように。
いのちを見守るわたしの存在に
氣づいていられますように。
誕生日クリスマス年末年始災害有事を
ひとりで迎える
すべてのわたしの為の忘備録として
ここに記す。