
先日売却してしまった、アルファロメオ2000GTVの思い出話でも。
これは長野ナンバーが付いたばかり喜んで撮影。 9年前だったんだな。
前オーナーは埼玉にお住まいのS氏。電車で引きとりに行った事を覚えてます。
この頃バンパーはまだ付いてますね。後、バンパーレスに。

こんな写真もお約束ではありますね。長女1歳半のころ。 小さい!
いまでは身長140cm越え、私の自転車も乗り回すほどになりました。末恐ろしや。

この車、当時盛り上がって来つつあった、アルファロメオチャレンジ転戦のため購入したのです。
当時はヒストリッククラスというカテゴリーがあったんですよ。
買ってすぐ足廻り固めて、Sタイヤを履かせサーキット仕様にしました。
エンジンオーバーホールもこの時期にしたんですね。自力。
古いのを選んだ理由は、ヒストリックカーは一度車両を造ってしまえば
そのあと費用がかからないという計算があったからです。
10年掛かりでヒストリックレーサーを作成しよう計画だったんですよ!
結果・・・・9年で挫折。(笑) イヤ、熱が入っていたのは2年目までで。
ほとんど自走でサーキットに行きましたが、東北の菅生サーキットだけ積載車で。
この時は家族3人でいったんだな。3人掛けシートの真ん中にチャイルドシート着けて。

この時のレースはヒストリッククラスが私1人だったので、
レースは不成立だったと思います。
ただ、参加1人だったのでなんか参加賞を貰ったんですね。
急きょ作られた参加賞の景品なんぞ用意されているわけもなく、
会場にたまたまあったアルファロメオ90周年記念の写真パネルをお情けで貰ったんだ!
思い出した。この時のプレゼンターは現役ライダーでもある伊藤真一さんでした。
伊藤真一さんと言えば仙台新港でぐーるぐーる膝擦りしていた走り屋の1人だそうで。
あの時あのぐるぐるに参加していたら私も違った人生を歩んでいた? 訳が無い。
・・・にやけ顔を隠すので精一杯な私、写真中央。 終始うつむいています。(笑)
マイクを持っている赤いスェット姿は懐かしいGAP代表のM島氏ですね。


このときのレースはROSSOという雑誌にも掲載されました。この雑誌、いまは無いのかな。
こんなスーパーカー雑誌に掲載される事は人生に二度とないでしょうね。
長野から500km自走?
いや、500kmも自走してないから! 積載車だから!
雑誌の記事なんてこんなものだという事を知りました。

同じ年、モテギで行われた関東最終戦、クラス2位の栄冠に!パチパチ。
って私のクラスは確か4台しか出走しなかったという裏事情があったり。
3位で走行中、私の前を走っていたF氏の2000GTVがトラブルでストップ。
そのままチェッカーフラッグが振られて・・・ そう! タナボタ式の2位! 後ろから数えても2位!
1位の方とは一周15秒ぐらい違ったと思います。(笑)

その次の年からは、私の父が仕事から手を引いたりして家業が忙しくなってしまい
参戦出来ずじまいに・・・そして車検が切れ、徐々にガレージの肥やし状態に。
たまーにMウェーブのノスタルジックカーショーに出展したり、
近所の香港パズル夫妻と遊んでいただいたりしてました。
この時撮っていただいた美しい動画もう無くなっちゃいましたね?
そんな2000GTVですが、新オーナーでもある腕っこきのメカ、
S氏から車検通ったと連絡がありました。
これから公道でS氏と新しい歴史を刻んでくれることでしょう。
オイルパンでアスファルトを刻み、デカイオイル染みを作ることがありませんように。