疑うということ
私は、入ってきた情報をそのまま信じるタイプでした。
特にテレビや新聞、良く売れている雑誌なんか確実に信用していましたねw
でも、それっていうのは製作者側にいいように操られているだけなんですよね。
なんの根拠も無く、「信用してください。」と言われて、「はい、分かりました!」って答えているだけなんです。
確かに、まるまる信用しても生きてはいけます。
そこまで、悪いようにはされないと思いますからw
なにせ私自身、ほとんど疑わずに20数年は生きてこれましたしwww
でもですね、もう一歩自分の人生を充実したものにするためには、疑うって行為が必要になってくるんです。
それが本当なのか、嘘なのかってことではなく、なんでそういうことを伝えるのかって視点です。
本当か嘘かなんて、正直どうでも良いと思うんですよね。
たまに、やらせだなんだとテレビの番組が雑誌を賑わすことがありますが、どっちでも良いとは思いませんか?
それだけ信じるってことは、その時間を満喫していた証拠なんですから!
それでいいじゃないですか。
それとも次は雑誌の情報に振り回されてみますか?
世間が騒げば自分も騒ぎ、批判をすれば一緒に批判をする。
そんな人生疲れますよ。
だからこそ、疑わないってことは、自分で自分の人生を生きているわけではなく、人が引いた線路の上を無意識に走っているってことになるんだと思います。
これを知っているか知らないかは大きいのではないでしょうか?
どんな意図でその情報が流されて、どんな意図でその情報を自分に取り入れたのかを意識してみてはいかがでしょうか?
折角の自分の人生、他人が敷いた線路の上を何も考えずに走るのではなく、きちんと自分で選択して走りましょうよ!
なぜ、その意見を信用しますか?
なぜ、その方法を取りますか?
なぜ、それが正しいと思いましたか?
なぜ、それを信じないのですか?
なぜ、それがダメだと感じたのですか?
一歩立ち止まって考える時間を取ってみてください。
これだけ情報が氾濫している現代、そんなに急いだって世間に振り回されるだけですよ。
疑うことを知り、意図を持って自分の人生を進んでみては如何でしょうか?