あけましておめでとうございます。
大分日が空いてしまいましたが続きです。
現在の私たちの文化における「医者」という立場には、それはもう昔でいうシャーマンや司祭に対して投影するものと同等の権威があると思います。
どういう事かと言うと、結局 生き死にに関わる大病を患ってしまったら、病院じゃないですか。
警察や憧れのスターに診てもらったところで病状は限りなく変わりません。
頼る、拠り所にするのは、やはり医者なんじゃないでしょうか。
ただ現代の医療現場は誰が見るにも明らかな飽和状態で、
大きな病院だと3時間診察を待った挙句3分くらいの問診で返されたり、
個人病院では一日何十名までとかザラにありますよね。
明らかに患者と向き合う時間が足りていない状態だと思います。
結果的に治す事が出来ても、経過である医師と患者との対話が不十分に済まされると、
結局どこかに不安を抱えたまま、すっきりしないって方も結構いるんじゃないでしょうか。
医師の数が圧倒的に足りていない背景に輪をかけて、最近は患者の数の方がおかしな数になっている印象を受けるので、こればかりは必ずしも現代医療が悪い訳ではないのですが、
結果的にこれらが招く不完全燃焼さが、「代替医療」の需要を高めている一因である事は間違いないと思います。
しかし、
デトックス、バッチフラワー・レメディ、足裏健康法、キレーションセラピー、
リフレクソロジー、ホメオパシー、レイキ(霊気)、ナチュロパシー(自然療法)、漢方・中医学、etc・・・
これら数多く存在する代替療法は果たして一般医療の「変わり」が務まるのか? ですよ。
これらのどれを信じるも人の自由ですし、信じる事でその人自身のプラセボ効果を引き出すのも事実ですから、
効果のほどが正確に認められていないようなものも含め、どれも意義はある気もします。
「人体は疾病に対して自然に回帰するものであり、医師はその回復する自然の力を補佐するのが天命である。」
というヒポクラテスの考えの上でも正解な気はします。
しかし言ってしまえば、「現在、代替医療と呼ばれるものの殆どが疾病の直接的な治癒とは無関係なプラセボ効果に拠るものとの結果が報告されている」からこそ「一般医療」ではなく「代替医療」と定義されている訳で、根拠さえ立証されればそれはもう「代替」でも何でもなくなる訳です。
そう考えるとこれらの意味合いはやっぱり決定的に分けるべきであり、療法、医療という言葉で麻痺させて世の中(消費者)に浸透させるのは、やっぱり違うんではないかと思います。
私は本当に「代替」「補完」すべきは一般医療が(物理的に)果たせなくなってきている「ホスピス」の部分であると感じており、必ずしも「治療」ではないと思っているのでこれを書いていますが、
ホスピスって言っても心理カウンセラー的なアプローチのみならず、基礎医学に精通し然るべきアドバイスがし出来て、必要ならば早期に然るべき医療機関に委ねる、言うなれば一般人と医療従事者の間をリンクするような人材が、これからはもっともっと必要になってくるんじゃないかと思います。
補完するのは治療ではなくて、健康を支援するアドバイザー的な立ち位置が、代替(補完)療法の在り方となってくれればと思ってますし、その為の制度や制限はいくらでも設けていいんじゃないかとも思います。
そんな中途半端なものじゃなくてみんな医者や看護師になればいいじゃんと思うかもしれませんが、
その彼らが全く足りていない状態なのですから、
彼らほどの治療活動は出来なくとも、その方々を補完する存在はもう少し必要じゃないかなと、思います。
なので医療現場と患者のあいだのインターフェイスとして、代替(補完)療法が在ってくれたらと、感じます。