15年前のこと。 | Bianca★blog ~雑貨屋のひとり言~

15年前のこと。

こんにちは!


Biancaです!!



土曜日なのに、大量の商品が入荷してきて


バタバタとjimmie くんと2人で格闘しやっと、片付きました。


ちなみにただ今、P.M2:10です。


jimmie くんは大量の商品とともに入荷した


大量の段ボールを捨てに旅に出ました。


おっ、帰ってきた!(実況いりませんか?そうですか。)



西神パルティには9店のお店があります。


それぞれに出たゴミは1カ所のゴミ捨て場にそれぞれが捨てに行きます。


ゴミ捨て場は、青空ではなく


ドアを開けて入る部屋のようなゴミ捨て場です。




私はこのゴミ捨て場に、初めてゴミを捨てに行った時




泣きました。





へっ??


泣く??


なんで~??(1人芝居中)





なんで~??ってねぇ、奥さん!(誰?)


怖いの何のって。





怖い??


なんで~??(まだ続いてます。)





中が暗いとか、しーーーんとしているとか、虫がいるとか


そんな次元じゃあ、あ~りません。





いったい誰が?、何のために?ってか、元はどうなってたの?






ドアを開けると




奥の方の




目線のちょっと上の方に






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(絶句。)





!!!!!!!!!!!!(目が倍くらいに開いた。)









ひと昔前にはよく見かけた


出身はどこのお国ですか??なお顔のマネキンの






顔だけが







こっちを見ているんです!!(キャーーーーー!!)




しかも、友達なのか兄弟なのかは聞いてないのでわかりませんが


お二人、いらっしゃいます。


怖いの何のって。


そのお二人の画像は・・・・・。














・・・・・・・・・・。





ありません。


んなもん、怖くて撮れません!!




こうして、ゴミ捨てという仕事は私の辞書から消えました。(ごめんよ~)





今日はそんなアホな話を書くはずじゃなかったのに~~。





ちょっと真面目に・・・・。


明日は、こうべっ子にとっては忘れることの出来ない日です。


あっという間に長い時間が流れてしまいました。


もう15年も経つんですね。




家族や友人、大切な人の命や家をほんの数秒の間に奪われた方には


辛く苦しい15年だったことと想像します。


私の周りの人であの震災で亡くなった人はいませんでした。


それでも、震災の時の体験談や写真を聞いたり見たりすると


まだ、涙が出てきてしまいます。




あの数秒の出来事が、すごく怖かったし、すごく悔しかったし


すごく悲しかったし、すごくやりきれなかったし。


直後より、後になるほど、負の感情が生まれて辛かったです。


そんな自分の感情に傷ついて、また悲しくなったりします。





地震で亡くなった知り合いはいないのですが


地震後、避難所で亡くなった知り合いはいます。


当時その人は、80歳くらいでした。


私の父の小さい頃からの知り合いで、もちろん私の生まれた時からを


知っている人でした。


親戚が遠い地に住む私にとって、その人は血の繋がりはないけれど


近くに住んでいる叔母のような存在でした。




長く一緒に暮らしていた従姉妹が数年前に亡くなり、とても寂しい思いで


1人住まいだったその人の家へ、時間のあるときは行くようにしていました。





地震が来た時、自分の家が少し壊れて途方に暮れましたが


その人のことが心配になり、急いで様子を見に行きました。


とても、古い家に住んでいたんです。


木造2階建てのとても古い家で、普通の時でも


2階に行ってはいけないと言われていました。




古くなっているから、崩れるからと。




そんな言葉を思い出すと怖くなってきて、走って行きました。


案の定、そこが何だったのか解らないほどに、瓦礫の山でした。


その人は、近所の人に助けだされていて無事でしたが


寝ていたままの姿で、裸足でした。




「よかった。無事で。」




その人の家の、並びの家から火が出ていました。



「火事なってるやん!消防車!!」


思わず叫んでしまったのですが、隣にいた知らないおじさんが


「呼んだけど、他に出てて来られへんらしいわ。」と。


「水は?」


「止まってる。」


諦め気味にそう言っておじさんは、火事の火を見つめていました。


何も出来ない自分の無力さが、とても悔しかったです。




その後、その人は避難所で近所の人たちとしばらく暮らしましたが


亡くなってしまいました。




私も小学校に避難していましたが、1つ忘れられないことが。



それは、地震当日


学校の前の道から見えた、火事。



長田の町が燃えていました。



実際には遠い場所だったのですが、とても近くに見えたその火の海は、


恐怖以外の何者でもありませんでした。


あの火を私は一生忘れないと思います。





後日になって阪神淡路大震災の酷さを知るのですが


その時は、自分の目に見えていることがすべてでした。


もう二度と、あんな恐ろしいことが起こりませんように。


明日は、早起きして黙祷したいと思います。





真面目な内容になってしまいましたが、最後は私らしく。





その親戚のような人に


「無事でよかった~」とそばへ寄っていったら


すてきな言葉をかけられた。





「kei ちゃん、家の仏壇のとこに10万円置いてるから取ってきて。」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。







仏壇、どこ??


ってか、kei<10万円。


こ、混乱してたんだよね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・。




ただ今、P.M4:35。


ブログ、何時間書いとんじゃ~


(答:2時間半。)


叫び writer kei


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