リブログ元の記事にも書いた⬇︎コレ。
「社会の中の 私、会社の中の 私、じゃなくて、
私の世界の中の 社会や会社なんですよ。
そうやって考えたら、
例えば何かですごく怒られて、力を奪われた感覚になったときは、
私が登場させた、私の世界にいる目の前の誰々、っていう感じにすれば
その人のパワーが薄くなるっていうか、自分にパワーが戻るから」by happyちゃん
これを、イメージしてやってみたら、
子供の頃に好きだったお人形遊びがパッと浮かびました。
私=ソースエネルギー とすると、
他のものは私が使う遊びのお人形と同じ感じ。
私の手の中にある。
ストーリーも登場人物も全部が私の意のままであるということ。
嫌いなアイツも、好きな人たちも、
私(ソース)が、ごっこ遊びしてる感覚だと思うと、全てが大したことじゃなくなる。
バービーちゃん「あんたなんか嫌いよ」
リカちゃん「うぇーん、ひどいよー、キック!」
バービーちゃん「うー、やられたー」
みたいな、茶番? を見ている私(ソース)的な感じかなぁと。
傷ついて悲しんでた私も、
ソース視点から見れば上記のリカちゃん人形みたいなもの。
うまく表現できませんが、
お人形遊びをしていた女の子なら分かるかなぁ?
要するに、
目の前の現実に飲み込まれている間は、とにかくそれに振り回されるし、目の前のそれが世界の全てみたいに思えるからしんどい!
でも、実はソース視点から俯瞰して見ることができたら、リカちゃんごっこと変わらないのかもしれない。
嫌いな人なら、もう登場させないこともできるわけだ。
ただ、
嫌だと感じることが無くなることはないそうです。
なぜなら、望まないものを経験して、望みを知るというコントラスト?とやらを経験するのが目的でこの地球に来てるらしいので。
望まない経験から、望みを明確にして願望のロケットを打ち上げると宇宙が拡張するらしい。
宇宙の拡張を担ってる。
とか言われてもピンとこないですけどね
そーらしーよー。
それにしても、
羽生くんの氷上を滑る姿と、使用された映画陰陽師の曲が頭から離れない


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