今年のお盆も無事に終わりました♡

 

今年は県外で暮らしている妹と弟が同時に帰省して来たので、両親も皆んなでご飯を食べてお酒を飲んだり、お墓参りも何年ぶりかに三兄弟揃って行けて嬉しかったです!!

 

 

 



 

 

お盆って皆んなが自然と“目に見えないものを認めている”感じが、すごくいい♡

 

 

 

 

 

世の中には人のことばかり気にして自分のことを後回しにする人がすごく多いけど、それは

目に見えるものこそ価値!

という、物質主義に根ざしているから。

 

 

 

 

 

 

目に見えない自分の感情とか、感覚とか、自分との約束とか。

 

見えないから、無視出来るんだ。

 

反対に「相手」という他人は目に見えるから、そっちばかり気にしてしまう。そっちばかり大切にしてしまう。

 

 

 

 

 

 

でもね、見える=存在するではない。

 

だから感情も感覚も自分との約束も無視は出来るかもしれないけど、消すことは出来ない。

 

本当は皆んな、見えないことも存在しているのを知っているでしょ?それはどうしたって感じてしまうもの。

 

 

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だからこんなに日本人はお盆を大切にするじゃないかな?

 

 

 

 

 

 

目に見えない自分の内側に在るものは無視は出来るけど、

消えてるわけじゃないからずっと悲しい。

 

その結果、感情が邪魔くさくなってどんどんどんどん蓋をするようになる。不感症になっていく。

 

 

 

 

 

 

「お盆」と同じように、許せたらいいのにね♡♡

 

目に見えなくても在るもののことを。

そしてそれに価値を認めることを。

 

ふと、そんなことを思ったお盆だった。