先日、2年前に主催したさきこさんの出版記念イベントのFacebook記事にさきこさんがタグづけしてくれました。
お金の神様に可愛がられる方法 1,300円 Amazon |
お金の神様に可愛がられる 「3行ノート」の魔法 1,404円 Amazon |
お金の神様に可愛がられる 「人づき合い」の魔法 1,512円 Amazon |
さきこさんとはこの「お金の神様に可愛がられるシリーズ」の著者さん♡私と同郷八戸の方で「女性のHappyを本質から応援する」という在り方が大好きな女性です!
お金の神様に可愛がられる手帳2019 2,700円 Amazon |
実はこのイベントの記事は、ちょうど一年前の今頃もフェイスブックにあがってきていました。
2年前主催したこのイベントは私にとって一つの大きな夢が叶った出来事であり、「背景が勝手に変わる、ワープする」を体得したり、心底「勝ち負けの世界は嫌だ」と好みがハッキリしたり、それをさきこさんが言葉に繋いでくれたり・・・。ちょっと一言では表現できないくらい、私にとっての特別な経験でした。
今思い出しても、頭より先に身体が反応して涙が出そうになるんです。私はこの人生であの経験が出来て本当に良かった!と、感じています。
でもね、それは「あのイベントはマジで最高の経験だった!主催出来て良かった!」ってゆう単純な
良かった
最高の経験だった
という言葉ではちょっと言い表せないような・・・そんな感覚でした。だから一年前も数名の参加者さんが「一年前のイベントの思い出」としてシェアくれたのを見ては嬉しく思いながら、私自身がそれをシェアする気持ちにはなれなかったんです。自分でも不思議だったんだけど。
何かがまだ自分の中で終わっていないような。イベントは終わったけどまだ「大切にしたい何か」がそこにあるような・・そんな気持ちで、その時のことはこの2年間ずっと「抱えている」感覚でした。
そしてイベントから丸2年。
さきこさんのタグ付けから始まり、突然やることの決まった今年5月のイベントの話(これはまた改めて情報開示します)があり、ジッと抱えていたものが私の中で動き出したんです
それは「不安」という感情・形で、動き出した。
すっごく楽しみな話しなのに、急にとてもとても不安になったんです。
その感情に言葉を授けるとしたら
「もう失敗したくない。」
これでした。涙が溢れそうになった。
私が心底「やりたい!」と思ってやったイベントなのに、沢山の人が本当に遠いところからも参加してくれたのに、さきこさんだって快諾してくれたのに、イベント〜セミナー〜パーティーまで全部形になったのに。
それなのになんで「失敗」なのよ。
自分の本音が辛くてあまりに見たくないもので、一瞬完全に持って行かれました。色んな人の視点に立っては、自分を責めたい気持ちでいっぱいになった。本当は一番「成功だったね♡」と言ってあげたい自分自身が「失敗」だと思っている。それが事実であることが、本当に辛く感じました。
こうゆう時こそノートのチカラ!
ノートを開いて、今ここに書いたような気持ちを全部吐き出しました。
「私は失敗だと感じている」ことを直視しました。なぜか?それはイベント全体を通して願いの先がブレてしまったことが多々あったから。
実はこれ、イベント後にさきこさんに謝ったんです。直後にもその違和感があって、当時はまだ上手く言葉に繋がらなかったんだけどさきこさんにだけは伝えなきゃ!と思ってメッセージしました。「対談させてもらった時にそこにいたある人に対して"いかに気持ち良くさせるか"を気にしてしまいました。」という旨のことを送った気がします。
それだけじゃないんです。イベント全体を通して、例えばさきこさんに対して勝手に遠慮したところもあったと思うし(遠慮と敬意をもって接することは違うと思う)、イベントが初めてだったから「赤字にならないように!」「集客しなきゃ!」の数字の部分を目的にしてしまった場面もある。
そうゆうこと全てに共通するのは、私が私で居られなかった!ということです。
無数にある「他人の目」になって、物事を見てた。動いていた。決めていた。
私の本当の「目」はただ一点。
「地元にこんな凄い人(私が憧れる在り方をそう表現します)が居るんだ!みんなにも知って欲しい!話を聞いてみて欲しい!」
「さきこさん大好き♡地元でお祝いしたい♡」
それだけだったんだよね。
2年経ってもその部分だけは絶対に忘れない(自分の中に「ある」から)んだけど、その他に大事にしたことは思い出すまで忘れてました。やっぱり他人の目だったんだ。
そしてその部分は今も変わらない!!
私はさきこさんを介して「女性の本質的なHappyな在り方」というものに惹かれて、あの頃はそれをさきこんの力をお借りして「伝えてもらう」という事がしたかったんだ。(だから自分が率先して質問者になって「対談」がしたかったんです!)今の私はこうしてブログを書いたり自分で表現してそれを叶えている。
それとは別に、この2年間の関わりの中で益々さきこさんという人も大好きになれたしね♡(男女のパートナーシップと同じで好きな人を好きで居られるってとっても奇跡で嬉しい。ありがたいな)
そしてその本当の願いから「ブレた願い」を、どうしてたくさん放ってしまったのかが分かりました。
私、さきこさんや参加者さんを大切にしたかった。そこにいる皆んなと楽しみたかった。
でも今と2年前ではこの「大切にする」「楽しむ」が大きく違っていた。
イベントをいかに素晴らしいものにするか、大成功におさめるか、みんなの納得のいくものに仕上げるかが「そのために大事なこと」だと、当時は信じてました。(これぞ「設定」ですね。)
大切にするとは「勝たせてあげること」でもあったし、楽しむとは「成功(当時はここも数字に設定していた・・)させること」でもあった。
だからさきこさんにいっぱい勝手に遠慮したし、赤字にならないように!集客しなきゃ!と数字に目が眩んだし、ある人にものすごく気を使ったし、参加者さんたちに「もっとこうしてあげたかった!」(自分自身の内側にある「楽しむ」とう視点から見て)という反省点もたくさんある。
まず自分を見て、パートナー(さきこさん、参加者さん)を見る。
シンプルにそれだけで良かったんだな〜〜と思った。その先に「赤字にならないようにやれることをやる!」
集客を頑張る!」があったのかもしれない。
今私はこの「大切にする」を「自分の気持ちに従うこと」に設定しています。
私はやっぱり自分も大切にされたいし、人のことも大切にしたいです。だけど「大切にしたい」という願いは無数にある外側の目で見て叶える難しいものじゃない!と、今の私には分かります♡「=大切とはこうゆう形」と限定して求めたり、与えたりするものじゃない。
今思うとあのイベントですっごく怒られた人に「さきこさんを大切にしてください💢」「なんでさきこさんを大切に出来ないんですか!?💢」と何度も何度も言われたのも、私の設定の通りの現実だったんだ。
対談前の控え室で泣きベソなのかヘラヘラしてるのか分からない感じだった私にさきこさんが「それ、ゆきちゃんの設定じゃないかな?」「大丈夫です♡」って頭をヨシヨシしてくれたこと、今しっかりと繋がり受け取った感じです♡
2年前の経験はこうして糧になりました。
(実はもう1個大きな気づきがあったので、それはまた書きますね!)
現在青森県八戸市でフリーランスで美容師をしています!(サロン場所:ブルーヘヴンフォーヘアー)その方の魅力を表現するスタイル作りが得意です♡「好み」と「似合う」を融合したご提案をさせて頂きます。是非いらして下さいね♪(時々LINE@限定お得な情報も配信中♡)