"共に生きていこうと思える幸せがあることだということ。"
このところ気がつくと「愛」の本質についてよく考えていて、さきこさんのこの記事と繋がるところがありました。
自分の感覚から「愛」を紐解いていくと、「共に生きていくことが幸せ!」というより、「共に生きていこうと思えることが幸せ!」に辿り着きます。
それは何も主人に限ったことだけでなく、男女問わずそう思える相手がいることは、幸せだな〜と思うのです。
最近すごーく嬉しかったことなんだけど、
仲良しのママ友が私をキッカケにして
布ナプキンに興味を持ってくれたんです!
私はプティラドゥの布ナプキンを使っているので、一緒にプティラドゥのホームページを見て「これ可愛くない?」「私これ好き〜!」「(お互いに)これが似合いそう!」ってキャッキャしたりして。
そしたら今日「ネットショップで買おうと思ったんだけどね、自分に聞いてみたら(お店でワクワクしながら買いたい)って思ったんだ!だから今週お店に行ってくるよ!」って教えてくれました。
何が嬉しかったって、自分が良いと感じている"布ナプキンの気持ち良さ"を体験して貰えるって事はもちろんなんだけど。
相手が自分の好きなことを知ろうとしてくれた事。
分かり合おうとしてくれる、その姿勢。
そこにじわ〜〜っとした喜びを感じたよ。
その友達は「ママ友」という肩書き・枠を超えて自分にとって大切な人なんだけど、「ママ友」と書いているのには私なりの理由があって。
私ずっとね、「ママ友」っていうものに偏見があったんです。
一言で言うと「ママ友は怖い」。
そんな風に設定してました。
怖いの具体的なイメージは
・上っ面な関係
・本音は隠す
・悪口
・勝ち負けする
・面倒くさい
こんなところかな・・・。(どんだけー!!)
だから上の子達を産んでしばらくは、子供の検診や保育園でも周りのママさん達と意識的に関わらないようにしてきたんです。
頑張って「ツーンとした、私」を装ってた。
でも、ある時自分の本音に気がついたの。
「同じ背景を共有出来るお友達が欲しい」
本当の自分は、
そう思ってたんです。
「ママ友いらない!」って意地になってた時は、とにかく悪い面を見る努力を怠らず。
「子供の話中心なんてつまらない」
「旦那の悪口ばかり言う輪には入りたくない」
って、頑として思ってた。
でも、それは私が勝手に「ママ友怖い設定」にしてたからで、本当の本当はどうしたかったか?って言ったら「ママ友いらない!」はちょっと違っていたんだよね。
子供の話も出来る。
旦那さんとの楽しい話(私は「パパとママ」の部分より「男と女」の部分の話が大好き)も出来る。
そんな背景も共有出来て、心から「大好き・大切」だと感じるような友達がいたら。とっても幸せだなぁ。
これが私の本音でした。
だから私は「ママ友」というものを、そんな風に設定したんだ。
『ママ友』の常識が嫌いなら、
新常識のママを発信しちゃえばいい
そうすればきっと一人や二人、
仲間になってくれる人が現れるから。
そのうち二人が五人、
五人が十人、、、。
どんどん増えて、
自分の世界が作られる
いっそ、自分が世界になっちゃう!
☝︎二年前の記事。(この頃の過去記事、結構恥ずかしいのですが・・・)
でもちょうどこの頃にした設定変更ですね。
それからは保育園でも自然にしていたらなんだかフィーリングの合う人達が周りに集まってきて、仲良くなっていって。
いつぞやの集合写真(笑)
今では最高の形で願いが叶っていて、
地球では「ママ友」という名の
共に生きたいと思える仲間
が出来た。これは本当に幸せだな〜〜と感じています。
ハッピーワイフ養成講座でも、今まで沢山の「共に生きたいと思える仲間」が出来ました。
仲間と言っても「いつも一緒」とか「しょっちゅう連絡を取る」とかそういう事ではなくて、離れていても連絡を取り合わなくても、その人が幸せを求めている事が励みになるような!そんな仲間が出来ていますよ。
「友達」
「仲間」
「講座メンバー」
言い方は様々あるけど、本質は「共に生きたいと思える相手」。そういう相手がいる事は、とっても幸せ!現在第4期の受講メンバーを募集中です。