昨日は急遽さきこさんにお声掛けして、前日一緒にセミナーをした清美さんと、打ち上げから合流した弘前でハーブテントサロンを経営しているお友達の菜穂子さんと四人でランチをしました!
その後、ある出来事が起こりました。
とっても楽しく皆んなで過ごした後、
主人がなんだか元気がありませんでした。
迎えに来てくれた帰りの車の中で、
主人からこう言われたんです。
「昨日からどうしても納得出来ないことがあって、俺は今由妃の言ったあることがずっと引っ掛かってる」と。
前日は仙台セミナーの後、清美さん、菜穂子さん、更に偶然同じタイミングで仙台に居合わせた桂子さんと私達夫婦で打ち上げをしていたんです。
その時パートナーシップの話で盛り上がっていて、主人が引っ掛かっていたのは私が言った「もし彼より良い人が現れたらそっちに行くかもしれない。雄輔もそうだよね?」という発言でした。
どうしてもそれが心に引っ掛かる、と。
その時から私に対する不信感が生まれた、と。
よくよく話を聞くと、
「私はもしかしたら不倫をするかもしれない!」
「不倫を肯定しています」
そのように感じてショックを受けたたようでした。
確かにその夜は、
各々全く違う恋愛観をもった四人が集まって話をしていました。
離婚、不倫、再婚、再婚はせずの複数恋愛、結婚。
それぞれ違う形だけど、
「今現在幸せ」をベースに話していました。
それぞれが対等に、違いを持ち寄って話していました。少なくとも、私はそう感じていました。
楽しくお酒も飲んでいたので、
主人の言っていることを自分が言った場面を正確には覚えていません。でも、もしかしたらそんな風に言ったかな?とも思いました。
それは彼を信頼しているのと、
「全くそう思わない自分ではない」そんな気がしたからです。
「全くそう思わない自分ではない」
そう思ったのですが、何かが違う気がする。
主人の受け取っているそれと、
私の言ったそれの意味が何だか違う気がする。
主人が何か、勘違いしているような気がする。
主人と私の間で、分かり合えていない"何か"を感じました。
主人が言っていることに対して、違和感がありました。
でも、それで傷ついている彼の気持ちも分かるような気もしました。
そんなことをグルグル考えながら、
でも何だかとても悲しい気がしました。
"今起きていることは、悲しい"それだけが自分の中に残りました。
結局すぐに答えは出ないまま、彼には「きっとあなたが思っていることとは違う意味で言ったんだと思う。言葉のチョイス、表現の仕方を間違えてしまったのかもしれない。」とだけ伝えました。
"二人の間に勘違いらしきものがある"ことは主人も分かってくれましたが、主人は主人ですぐにはそれが何なのか答えが出ないようで、一旦二人で保留にしました。
そしてその話し合いの中で、
こうとも言っていました。
「文化や時代の違いで、必ずしも不倫が悪いことだとは思わない。」
「自由恋愛や、結婚していても他に好きな人が出来るということ自体、理解出来ない訳ではない。」
「でもやっぱり俺は"現在の日本では不倫はモラルに反する。"この事実は"以上"だと思う。」
「それを変えていきたいという思いがあるのであれば、政治家になるなどして(方法を考えて)現実的に変えていくべきなんじゃないか」
そして私はこう思い、伝えました。
「もしかすればその方法が、発信なんじゃないか。」
「常識を疑って、例え常識外が事実であっても、そこに幸せを感じる人達がいるのであれば、私はそれを否定はしたくない。」
「そして聞いてみたいと思っている。自分と違う生き方を選んでいる人達の感じる幸せが、どういうものなのか。」
「そして出来たら、それを分かち合ってみたいと思っている。」と。
それから、こうも伝えました。
「そうゆう人達と同じように、私は私で結婚を選んでいるんだよ。だから他の人の話を聞いたから"へー!じゃあ私も不倫してみよう!"とはならない。自分が不倫する可能性を肯定するために、話を聞いてるわけでもない。私は常に自分の意思で生きてるから、今この瞬間あなたと一緒にいることだって自分で選んでいるんだよ。それは"不倫、他の人を好きになる、素敵な男性と出会うことがある"全ての可能性の中で、今私はあなたが大好きだと感じて、一緒にいたいと感じるから、それを選び続けてるんだよ。」
その後もなんか知らないけど悲しくて、
しばらくベッコリ凹んでいたのですが、
答えはちゃんと自分の中から出てきました。
私はあなたを外側で見ない。だからあなたにも、私を外側で見ないで欲しい。
ノートに沢山殴り書きして、感情を疑いました。
何度も、何度も。
事実を書いては、どうしてそこからそう感じるのか?
何度もしつこく疑い続けました。
が、出て来る答えは全てこれでした。
主人はいつも私のブログを読んでくれて、話を聞いてくれます。そこから「分かりたい」という気持ちを感じます。いつも私はそれが、本当に本当に嬉しいことだと感じています。
でも本人が「この話はよく分からないんだよなぁ」ということもよくありますし、私も「絶対分かってね!」を強要したことは一度もありません。
分からないことを分からないと言える主人がカッコイイなとも思うし、強要はしませんが本質的に「分かち合いたい」があるので、何度も伝えます。自分の中で"伝えたいこと"が深まれば深まるだけ、伝えます。
その結果、分かち合えてきたことが沢山あります。
そしてあるのが、今の私達二人です。
信頼も絆も、そうやって育んできました。
変えよう、分からせよう、勝とうとせず、時間をかけてただ「分かち合いたい」をベースに育んできたんです。
でも、ここに来て一つ大きな壁にぶち当たったような気がしました。
主人の中に、結婚に対する「正しさ」が設定としてあること。
勝ち負け世界で生きていることが分かりました。
そしてまたこの「勝ち負け世界・対等世界」の話も、近頃主人が「いまいち分からないんだよな〜」と言っていることでした。
でもそれが浮き彫りになると、やっぱり悲しかったです。大切な人と対等に分かち合えない経験に傷つくことは何度もありましたが、ダメージレベルが違いました
今も、やっぱり悲しいです。
主人の中にその設定がある限りは、どうしたって"愛"以外のものが混じってしまうからです。
私はただ、主人に愛されたいなと思いました。
正しいから一緒に居るのは、嫌です。幸せだから一緒に居るのが、嬉しいです。
長年一緒に居る彼のことですから、分かるんです。「正しいから一緒に居る」が全てではないって。これは強がりじゃなくて、本当にそう感じるんです。
でもね、ちょっとでも「正しさ」が混じるなら、それは悲しいんです。
きっと無意識レベルだけど、
「正しいから」基準で関りがあるとしたら
それは本当に嫌です。傷つきます。
「俺の妻だから」という判断基準は、意識的にも無意識にも採用しないで欲しいのです。
深い悲しみから学びました。
また一つ、自分の本当に願う「在り方」を学びました。私はいかなる時も対等に、主人に私を見て欲しいです。外側ではなく私の魂だけを見て、一緒に居たいと思って欲しいなって思いました。
それが私の望むパートナーシップで、恋愛で、夫婦で。
そして今はやっぱりどうしたって、
それを主人に分かって欲しいなと感じてしまいます。
対等に見てくれないから嫌いになったり、
「対等が分からない」と言ってる主人を見下したり、
そうゆう気持ちにはならないです。なっていません!と言ったらいいのか・・・。
きっとそれは、私が主人を大好きだから!なんでしょうね。それ以外の言葉が見つからないもん
私は自分一人で「対等の世界」を選ぶけど、それを分かち合いたい相手も選びます。もちろん万人と分かち合えたら素敵ですけど「この人は諦めたくない。分かち合いたい、関係を育みたい、共に学び合いたい」そう感じる相手は、自分の心で決めます。
「嫁だから」という責任ではありません。自分の人生に対する責任です!誰と愛し合いたいか、その責任はただの"米内口由妃"にしかとれません。私は私の幸せに、全責任を持ちます。
「誰と恋愛してもいい」ということは、複数恋愛が存在するのと同等に「結婚」での言い訳全てゼロです。「誰の子供を産んでもいい」ということは、「夫婦の子供」での言い訳も全てゼロです。だから対等なんです!だから何もかもが「私の責任」なんです!
やっぱりこの感覚、主人と分かち合いたいな・・・♡
きっと、ここから主人は更にカッコよくなります
私も、更に幸せになります。
昨日から感じているこの「絶大な悲しみ」を、繁栄に変えていく姿を皆さんにお見せします。
実は今年の秋に、さきこさんと一緒に大きなパートナーシップのイベントを開催することになりそうなんです!
その話し合いも兼ねた昨日、
こんなことが起きるなんてもう
繁栄する以外ないでしょ!!!!
「妻だから」「結婚してるから」更には「子供の母親だから」を全部取っ払った私と彼の魂レベルのパートナーシップ!ここから始めます。育みます。もっともっと楽しみますよ〜〜!
ハッピーワイフ 米内口由妃