silentを見てから大ファンになった

脚本家の生方美久さん


最新の話題のドラマ

「Tシャツが乾くまで」


毎週金曜日が

楽しみでしょうがないのですが


ドラマを見て、

登場人物の過去の会話から

何かの伏線では?と考察したり、

このドラマは何を伝えようとしているのか

考えたりするのが楽しくて


SNSでもドラマを見ての感想や考察が

溢れていて

考えや思いを誰かに語りたくなるドラマ、

という時点で

丙午の2026年らしいドラマだなと

思います


個人的には

「好きな人フィルター」という言葉が

素晴らしいなと


人は他人を見たいようにしか見ない


誰かにとって良い人のAさんが

誰かにとっては感じが悪いAさんってことも

あるわけで


その人の一場面を見ただけで

全てを知っているかのように

決めつけてその人を語ってしまいたくなるけれど


そもそも

その人を見る時は

自分のフィルターをとおして見ているから

そのように決めつけているのは自分


だから

相手がどうか、語る時は

実は相手をとおして自分について

語っているようなもので


結局は自分の世界観ありき


となると

相手を一歩引いて見るには

ある程度の距離があってこそ


って

若い頃は

相手に依存したり

相手との境界線がなくなって

執着しすぎたり

誰しもが経験があるかなと


私もあります

それも人間らしくて良かったなと

今になって思います



人間をクールに観察しながらも

人間関係に焦点を当てて

視聴者を楽しませてくれるドラマ


最後まで見るのが楽しみです





転換期、とか

切り替えの時期、とか

要らないものを捨てる時期、とか

いろいろ言われるけれど


2026年8月

丙午の年、丙申の月の現在、


私の周りでは

変わりゆく時にいると思わされる

出来事が

立て続けに起こっていますが

皆さんはいかがでしょうか


どこに住むか

誰と過ごすか

何を自身の営みにするか

決断を迫られているなと

感じます


特に思うのは

心が自分自身と繋がっていれば

どこで何をしても良いってこと


大切な何かと

いつでも会えるところにいて

その顔を見て過ごしたい、って

思っていた過去を経て


やるべきことがあるならば

自然とその場所に連れていかれて

やるべきことを成すようになっている

たとえ大切な何かと離れても 


そのように感じます


絶対に大事で

手の中に収めたいと思っていたものも

指の中からするりと抜けていったとて


怖くもないし

惜しくもない、と

いったような感覚です


ああなったらどうしよう、とか

ああなったら困る、とか、

緊張感の中で暮らすことを

もうそろそろ止めても良いかなと

思う次第です


心から自分に安心をして

委ねて生きること

それが、

これからの時代に合う生き方

 

 





 

とある休日の朝


高校生の息子が部活のため

学校へ


すると10分後にLINE電話

「プリント忘れた!」


先生に提出する大事なプリントを

家に忘れたとのこと


メイクも髪の毛のセットもせず

日除けの帽子を被り

朝起きたままの格好で

駅までマイ電動自転車を漕いで


急いでプリントを手渡して

電車では間に合わないからと

電動自転車も渡して(泣)


明らかに

「起きたままの人ですよね」の格好で

私はバスに乗り帰宅(泣)(泣)


必要な物の準備、

いつになったら前もって出来るのか、、


息子の性質は

瞬発的に動くタイプ

前もって準備は苦手、というか

したことがない(驚)


合宿に行く準備も当日の朝(驚)


仕事に行く前の貴重な朝の時間に

アレが無い!コレが無い!

と言われても


臨機応変な対応が苦手な私は

パニック状態

ヘトヘトになり職場にたどり着く


今回は休日だったので

まだ良かったですが


この出来事を経て


いつまでも

息子が近くに居てはいけないと

改めて実感


いろいろいろいろ

心配事があっても


あえて離して


一人で悩み、考える方法を身につけて

自立させる道筋を提示しようと決意


周りの方に恵まれていて

自分から助けてと言えるし

助けを得やすい性質だとしても


最低限身につけるべき

マナーや生活力というものがあるはず


バスから降りる時に

スマホの残高は5%

ギリギリ

交通系ICカードを使えてホッ


って

私もあまり人のことは言えませんが


守るべき存在の子ども

成長に応じた守り方を選んでいきたいです

 

 




 

 

人間はどう生きるべきか、

良く生きるとは何か、

 

みたいな本を読んだり考えに触れると

 

その次は究極に

目に見えるものを実際に動かしてみたくなる

 

どう感じるか

どう思うか

心掛けや対処法などで

頭の中がいっぱいになった後は

 

じゃあ今からどう動こうか、ってなる

 

でもそれは

思考が腹落ちしてない証

 

 

本当に腹の底から納得出来れば

もう身体は自動的に動き出している

 

心と身体は一体だから

 

 

以前の私は精神的な世界にどっぷりはまり

あーでもない、こーでもないと

頭の中で理論をこねくり回していた

 

今は猛烈に現実を動かしたいという思いが強く

 

目の前の現実、例えば仕事や趣味のことなどを

自分で考え、決定し、行動に移す、のサイクルを

繰り返している

 

ただ、目の前の現実は自分で動かしている

ように思えて

実は動かされていることが多い

 

素晴らしいアーティストが、

神から降ってきた音楽を、

自分という楽器が奏でていると言うように

 

一般の私たちの現実レベルでも

動かされて行動していることに

実は気づいていないだけ、ということも

 

この部分のこの仕事は

私がやりました!と

アピールしたくなる時ほど

 

いやいや、

これはやらせていただいたのだ、と

上からの自分に諭される

 

もっと評価されたい、

なぜ私の業績を認めてもらえないのかと

思うときは

 

大丈夫、

上の方から見ている人が

ちゃんと舞台を準備している

 

だから

 

不必要にでしゃばったり

喋ろうと頑張りすぎなくて良い

 

とくに今年は丙午の年だから

太陽のようにあっけらかんとさわやかに

自分の内なる思いはオープンになるから

 

大丈夫、

ちゃんと見られるべき人に見られている

 

大丈夫、

そのうちに

ちゃんと結果はついてくる

 

焦らずに

焦らずに

 

 

いつかの建仁寺境内にある西来院

 

 

ニュースを見ていると


伝統校、敗退!

伝統校、敗れる!


夏のスポーツの大会の記事を目にします


一方では、


あの伝統校にまさかの不祥事が


みたいな記事もありますね



体感として


伝統や歴史はいつまでも通用するとは限らない


そんな感覚があります



そもそもの始まりは

創始者や創設者なる人が

はじまりの一歩を踏み出し


リーダーが旗を振る裏側では

マネージャー的な存在が支え

進んで下がってを繰り返し


もう衰退するかと思いきや

立派な後継者が現れて

次の時代を引っ張る


そこに始まりの気、は

確かに宿っていようとも

いつまでも盛り上がりを見せるとは限らない


伝統の中身には「人」がいる

目に見える実績を残そうとも

裏側には何倍もの目に見えない

人の動きや労力があってこそ


伝統校だからこその

期待とプレッシャーを背負う若者たち


とてつもない敗北感や悔しさを抱えようとも

伝統という名の入れ物を抱え込む必要は無い


素晴らしい伝統のあゆみの

一員として選ばれたこと

なかなか出来ない経験を得たことに

誇りを感じきった後は


綺麗さっぱり

また自分自身のために歩みを進めて欲しい


若い人たちの涙を見て

陰ながら遠くから願います




自分のために生きていく