落ち込んだり

ポトンとポケットに入り込むように

何となく沈んだ時は


なぜ、

どうして、

どうしたら、を考えがち


自分でコントロール出来ること以外は

手放そう、とか

よく言われるけれど


それが出来るようになれば

苦労しないし

仙人みたいやん、と思う


ただ、

年齢を重ねるごとに

どうにもならないことが増えてきて

まあいいかと

流せるようになり


自然と

しょうがないもんね、と

気にならなくなる


その

気にならなくなるこそが、

手放しであり


まあいいかと

お任せ出来るようになれば

ずいぶんと生きやすくなる


とは言え

若い頃に真剣に悩み、もがき

どうすればより良くなれるのかと

自問自答する日々がなければ

まあいいか、の有り難さが分からない


幼少期より

まあいいか、を心得ている人は

まあ良くないことに専念する


というか、

どうでも良くないことに熱心になるがあまり

どうでも良いことを仕分ける作業をすっとばして

気にならない


それは一つの才能


その才能がある人はそのまま

誰かに邪魔をされようとも

我が道を進む


もちろんその才能がある人も

もがき、苦しむことはあるだろう


だからこそ、

自分自身を大切に

自分の中にこそ神はいるよと

教えてくれる


自身の才能にまっしぐらでありながら

周りへの愛を忘れないなんて本当に神


この人の在り方が

人生の勉強の到達点だとしたら


やはり年齢では測れない

魂の習熟度があると思わされる



恐れを手放せないでいる自分に

どこかで、この瞬間に

同じようなことを思っている誰かに


大丈夫、1人じゃないよと

エールを送る



いつかのソラに





今日は2026年6月21日

夏至の日


昼間の時間が一番長い日であると同時に
今日から陰に傾くという境目でもある

天文学的な話を聞く度に
占いと呼ばれているものは
非科学的なものではないと
改めて確認をする

広い宇宙の中にある地球で
人間が生活を営んでいる以上は
天文学的な変化を受けて生きるということ


陽から陰へ傾き始めると同時に
裏の世界で活躍してきた人や物事が
ようやく表舞台に立てる兆しが見える

無理に何かを主張しなくとも
自然の流れで必然的に
裏から表へと押し出される

本来であれば
表舞台で活躍する人を
裏からあれやこれやと手を回し
調整している役割の人

世界的な場で
日本国内で、
職場、グループ、家庭で
オセロがひっくり返るように
少しずつ

とは言え
あくまでも
表の役目で生まれた人は表
裏の役目で生まれた人は裏
この法則はわきまえていた方が良い

裏の役目で生きる人なりの
表舞台での立ち方がある

おそらく
それぞれに分かっている役目

上がれば下がり
下がれば上がる
法則は必須

2026年の分岐点を越えていくわたしたち
それぞれに輝かしい毎日を
過ごせますように


闇を描くために光を描いた画家

高島野十郎 大阪中之島美術館にて



図書館に予約していた本が

忘れた頃に貸し出しの順番が回ってきたため、

急いで取りに行ってきました


久しぶりの読書、

2026年本屋大賞受賞「イン•ザ•メガチャーチ」


一気に読みました


ネタバレになるのであらすじについては

詳しくは書きませんが


推し活について

日本を取り巻く現状について

冷静に詳細に分析をされていて


推し活ブームについて

推し活にはまる当事者の視点と

推し活ブームを巻き起こす側の視点と

双方から書かれています


読みながら

リアルを突きつけられて

ちょっと気落ちする自分がいました


私個人の意見ですが、

推し活の楽しさは

自分は対象となる人を

確信を持って魅力的だと感じているから

応援出来るし

毎日にハリを持たせてくれてありがとう!って

前向きなポジティブなパワーを実感出来るところ


その確信こそが

自分のオリジナルの感覚であり

誇れる何かのように思えることが要であり


実は誰かに仕掛けられたレールの上を

突っ走っていただけだと

目が覚めたような気持ちにさせられた時

私の好きって何やったんー?と

戸惑いを隠せない人もいるのでは、と


そんな難しいこと、

どうでも良いやん

私は今日も推しを推していく!って

思える人は最強ですね


とは言え、

自分自身を熱狂の渦に没入させること

生きているという実感を味わうことは

誰かや何かに筋道を立てられようとも

きっかけや仕組みなど

何でも良いのかもしれません


今、自分自身が感じる熱量そのものに

リアルを生きていられるのならば


ガウディ展より 

圧倒時な才能には推したい人が必ず現れる



仕事からの帰り道


混雑している

電車の中での出来事


隣に座っていた男性がスッと立ち上がって

前に立っていた年輩の方に席を譲ろうとした時


「私はまだ若いから大丈夫ですよ。」と

断っておられた場面に遭遇しました


私は心の中で

譲った男性側の気持ちになり

勇気を出して譲ろうとしたんだろうな、

自分だって疲れているだろうにな、

という思いになりました


一方で

断った年輩の男性側の気持ちを思うと

まだまだ若いし、足も丈夫なのに

失礼な、と

少し気分を害されたのかな、

とも思いました



何歳になってもいつからでも

人は新しく始められる

年齢なんか気にしないで

自分らしく生きよう、って言われても


身体は年齢とともに

確実に歳を重ねていくわけで

どれだけ努力をしても

年齢は見た目に表れるもの


やはり社会で生活するには

年相応の振る舞いをすることが

自然、ということかなと


晩年期になっても

若い方はたくさんおられるため

個人の自由なのですが



私がもう少し歳を重ねて

電車で席を譲ってもらう対象になった際には


その時の自分自身が

席を譲るなんて失礼な、と思ったとしても

ありがとうございます、と

素直に席を譲ってもらおうと思った次第です



置かれた場所でふさわしく振る舞う




柴犬さんが4歳になりました


3ヶ月くらいで我が家にやってきた柴犬さん


ミルクを温めてフードをふやかして

久しぶりの赤ちゃんのお世話に

アタフタした私ですが


今では

面倒くさがりのずぼらな私を

毎日散歩に連れて行ってくれる

頼もしい相棒のような存在です


散歩をしていると

知らない人から話しかけられることも

多くて


とくに

柴犬を飼っていました、懐かしい

今は居ないけれど、と


お空に帰った柴犬さんのことを

思い出して

思わず声をかける、という方が

多いように感じます


確かにそこに存在していた

柴犬さんの輪郭をなぞるように

一緒に過ごした日々を

愛おしく思い出されているのかなと

思います


ペットを飼う経験がなかった私は

味わったことのないような

愛おしさや温かみを感じることになり


自分自身に戸惑いを覚えるくらいなのですが


なんだか人間らしくて良いなとも

思っています


大人になるにつれ

役割を演じる時間が増えるわけですが


柴犬さんを見つめる自分は

40代の自分でもなく

母親でも妻でもないような気がします


ただただ一人の人間として

柴犬さんが愛おしいなあと思う、

というか


だから

散歩中に思わず話しかけて来る方々の気持ちも

よく分かるような気がします


ただ純粋に愛おしいだけなのだと


目の前の柴犬さんをとおして

家族として過ごした柴犬さんを思い

ただただ愛おしいのですよね


いつか私もそのような日を迎えるのでしょう


ずっと元気で居て欲しいけど

寿命があるのはお互い様だから


やはり

先を見通して感情を揺さぶられることなく


1日、1日を愛おしく思いながら

日々を重ねていく

その繰り返しなのでしょう



帽子をかぶってくれなかったので

AIに画像を作ってもらいました