画像ブログ『駐在員のインド漫録』

上の画像は、インド北部ジャンム・カシミール州レー(Leh)にあるチベット仏教の僧院・ティクセ・ゴンパ。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の谷間にあるレーは海抜3500mの高地。高山病に苦しみながらの撮影であった。







$画像ブログ『駐在員のインド漫録』-地図
ブログ記事関連インド地図




にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ


↑ランキングに参加しておりますので、クリックをお願いします。



インドの魅力を絵画で描く秋山一夫画伯のブログ・リンク

http://blog.livedoor.jp/pitibo2000/



インド紅茶専科「Mittal Tea Room」ホームページ: https://mittaltearoom.com/
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

第5241篇:2024年「アメリカ紀行」(23)

「ラスベガス・シティ・歩行ツアー」は宿泊ホテル「Excalibur Hotel & Casino」の北約2Kmにある「The Venetian Resort Hotel & Casino」からスタート。このホテルは1999年開業で、ヴェニスをテーマしています。全室スイートルームを標榜。「ラスベガス」のホテルは集客のために宿泊料金を安くしています。私が宿泊した「Excalibur Hotel & Casino」は4星ホテルでありながら1泊15,000円ほど。部屋の広さも30m2あって余裕です。ロサンジェルスでこのレベルのホテルに宿泊すると1泊50,000円はするでしょう。30年前に宿泊した時、朝食も無料でしたが今は有料で高いです。(続)


「The Venetian Resort Hotel & Casino」

 

ホテル内に造られたヴェニス

第5240篇:2024年「アメリカ紀行」(22)

「ラスベガス」がいつから「カジノ」で知られるようになったのか?それは第2次世界大戦終結後の1946年、「ベンジャミン・シーゲル(1906年生‐1947年没)」というギャングが「ラスベガス」に「フラミンゴ・ホテル」を建設し、「カジノ」を併設して莫大な収益を上げていることが知られると「マフィア」が続々と「カジノ・ホテル」を建造して営業を始めます。それらのホテルでは「カジノ」に加えてフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニア等のナイトショーを定期的に開催して集客に成功。因みに「ラスベガス」がある「ネバダ州」は1931年に賭博を合法化しています。「ラスベガス」の街やホテル建設資金の大半をモルモン教徒が融資したというのも、さもありなんです。(続)

 

「フラミンゴ・ホテル」のアメリカオシドリ

 

フラミンゴ

第5239篇:2024年「アメリカ紀行」(21)

「グランド・キャニオン日帰りツアー」の翌日となる3月14日(木)、午後1時から「ラスベガス・シティ・歩行ツアー」に参加。「ラスベガス」は「ネバダ砂漠」の中に造られた街です。この地は1820年代後半に、モルモン教の都市「ソルトレイク・シティ」からカリフォルニアを目指すモルモン教徒により発見されました。1840年代末、カリフォルニアのゴールドラッシュでその地に向かう人々の砂漠の中の貴重な中継地として定住者も現れ、1905年に「ラスベガス」が築かれます。(続)

 

砂漠の中に造られた街「ラスベガス」

 

ホテルのカジノ

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>