画像ブログ『駐在員のインド漫録』

上の画像は、インド北部ジャンム・カシミール州レー(Leh)にあるチベット仏教の僧院・ティクセ・ゴンパ。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の谷間にあるレーは海抜3500mの高地。高山病に苦しみながらの撮影であった。







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第5841篇:2025年10月「インド紀行」(70)

「ザビエル」の遺体は10年に1度公開されています。前回の公開が2024年だったので、次は2034年。私は81歳になりますので、インド訪問の気力体力は残っていないでしょう。(続)


 

 

 

第5840篇:2025年10月「インド紀行」(69)

聖人に列せられている「ザビエル」の遺体が何故異国の地インドに今でも安置されているのか?航海士「ヴァスコ・ダ・ガマ(1460年頃生‐1524年没)」は1524年に南インド・ケララ州コーチン(現コチ)で没し、フォート・コーチンにある「聖フランシス教会」に埋葬されていましたがその後、遺骸は故国ポルトガルへ運ばれました。「ザビエル」の国籍は「スペイン」そして民族は「バスク人」。故国スペインが彼の遺体を引き取ってしかるべきではとの思いがあります。彼がスペインからの独立志向の強い「バスク人」であるということが影響しているのではないかと私は推測しています。(続)


 

 

第5839篇:2025年10月「インド紀行」(68)

ザビエルはポルトガル王ジョアン3世(1502年生‐1557年没)に東インド布教を要請され1542年、「ゴア」に着任。ここを拠点に東方布教に力を注ぎ1549年、鹿児島に上陸。その後、中国での布教を志すも1552年、広州の南150Kmに位置する上川島(Sancian Island)で熱病により没します。遺体は「ゴア」へ運ばれますが暑い東南アジアを経て運ばれたにも拘らず、腐敗しなかったといいます。遺骸は石灰を入れて納棺され、いつまでも腐敗せず生きているかのようであったと。それが石灰の作用で屍蝋化したのか、それとも神の奇跡なのか謎です。(続)

 


 

 

 

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