ただ乗りで神佛の功徳を頂戴しようとしても中々上手くは行きません。相応の代償をきちんと払う努力なしに、何事も得ることは無いのです。

 

 例えば。知己に誰かがどこかに参拝すると聞くと、一緒に連れて行ってもらうくせに、車での移動に必要なガソリン代や高速代等の応分の負担をしない人がいます。知己だから良いだろう、お金無いし、というが、こうした心構えでは神佛にも御眷属にも嘉せられない。

 

 すぐの金銭負担が難しい場合には後払いを約して、きちんと期日に清算するのでも良いですが、応分の代償なくして得られるものはない。件の知己も多くの寺社にただ乗りで行くのですが、願望はなかなか叶わない状態。当たり前なのですが、この理に気付きもせず、ただ乗り参拝を重ねています。

 

 親しいわけではないし、何等か尋ねられている訳でもないので何にも云いませんが、友人らからは負担すべきと言われているようですが馬耳東風。参拝する毎に悪しきカルマを積み重ねるだけなのですが、他人がどうこう言っても聞く耳を持たない以上仕方ありません。

 

 寺社参拝を安く行けてラッキーくらいに思う人もいるかも知れませんが、靈的にはただで得た功徳は「負債」でしかなく、時期が来たら「返済」をしないといけないのです。プラスとマイナスは釣り合いを取るよう自然と調整されます。

 

 上述の例だけでなく、応分の代償ということは常に念頭においておくと良いでしょう。ただ、これを氣にし過ぎると、これも却って開運を妨げる一因となりますので、注意が必要です。代償は金銭以外でも体力や知力を使ったボランティアなどもあります。プラスとマイナスの釣り合いは大事ということです。再拝