『論語』(学而第一)に孔子の弟子有子の言葉として載っているもの。書き下すと、「禮の用は和を貴しと為す」で、和というものを禮を基礎に図るべきことを述べています。和を大事にしようとする場合、それだけを強調すると上手く行かなくなってくるので、禮という秩序立ても併せ用いることで、和が円満するという趣旨。禮という基盤の上に和を形成すれば、大事小事を含め全体の調和がもたらされます。禮の適切な実践によって、結果、禮節や節度をわきまえる「かたち」がつくられることで全体的なバランスが取れます。

 

 禮という枠組みは、誤って実行すると単に堅苦しく封建的な感じになりますが、真の禮というのは、その「かたち」において自由さを感じるものです。適切な禮の実践は、自然と調和がついてくるものなので、形に押し込められることによる苦しさ(かたぐるしい)がないのです。密教の行法も一種の禮の「かたち」ですが、最初の内は形の苦しさしか感じないかもしれません。が、禮と和が不即不離の関係性であると有子が言っているように、しっかりと行い努めていれば、「かたち」のなかに御佛が広大無辺の如く、大いなる自由が見いだせるようになります。日々の精進をするだけでなく、行法のなかに和を感得できるか否かを見極めていくのが大事です。合掌