真言を教授すると暫くして次の新しい真言を、という人が時々います。前に教えた真言を何遍唱えたかを聞くと、覚えていないというのが殆ど。新しく教わった真言を一洛叉(十萬遍)も唱えないままに、次をと言われても伝授する訳がありません。

 

 必要があり少なくとも何遍唱えたかを答えられれば、まだ考慮の余地はなくはないですが、そうでなければ論外。一洛叉というと大変に思うかも知れませんが、朝夕に各一千遍ずつ唱えれば五十日で満願できます。真言は一洛叉をクリアしてからがスタートラインです。

 

 そこまで行っていなければ、真言の力を引き出す出発点にも立っていないことになります。因みに正式に阿闍梨から傳を受けていない真言の念誦は、一洛叉のうちにカウントしないのが古来よりのしきたりです。合掌